杉原信幸 美術家 第2章「旅をすること~表現と場所~」

杉原信幸 美術家 第2章「旅をすること~表現と場所~」

旅をしながら表現活動を行う杉原さんに、新しい場所に訪れて、人と自然の境界の場としてその土地を拓いていくという活動を詳しく伺いました。

ー瀬戸内国際芸術祭に参加された時は、どういう場所、素材、過程で作品を制作しましたか?

瀬戸内国際芸術祭では、日比野克彦1さんのディレクションで「海底遺物」というテーマがありました。粟島という島が船乗りさんたちの島で、日本初の海員学校が海洋記念館になっていて、そこが会場になる、ということまで決まっていたんです。数年前にレジデンスで滞在した時、既にその場所は知っていたけれど、実際に行って、それは本当に粟島という島を象徴している場所というか、その島にとって大切な建物だと感じました。老朽化しているんだけれど大切にされていて、そこに何かをつくるということ。海底遺物というテーマも僕にとっては未知なる世界でした。

今まで見てきた縄文遺跡などは陸上にあるものだけだったので、海底遺物というテーマでやること自体がまず興味深かったのと、場所性、海洋記念館の持っている歴史性、場所が持っている力が興味深いものでした。教室の窓がすべて手焼きの、景色の歪む美しいガラスで、その空っぽの教室を見ていると、そこが水中というか海の中に見えました。そこに船が浮かんでいる。フジツボとかいろいろな貝で覆われているブイや金属などの海底遺物が日比野さんの作品として展示してあって、海の底に沈んでいるものは貝に覆われているイメージがあったので、そこで貝に覆われた船というイメージが見えたというか、ビジョンがあって制作しました。

ー海外ではどのような場所で発表されていますか?

昨年はメンドシーノに行って、展示をして、スウェーデンでは滞在制作をして来ました。メンドシーノは大町の姉妹都市で、交流展を毎年、交互に開催していて、去年はメンドシーノに行く年だったので、一緒に行くことが出来ました。向こうでレッドウッドの美しい森があって、大木が死ぬとまわりにサークル状に新しい芽が出て、レッドウッドの森がサークル状に出来ていきます。それがすごい面白くて、ネイティブの人達は昔、一番大きなレッドウッドのサークルで、儀式というか、会議をやったという話を聞きました。

それで、メンドシーノではレッドウッドの木の木っ端で小さい木彫りの作品を作りました。スウェーデンの方は「ストーンプロジェクト」という、石をテーマにしたプロジェクトだったので、みんなで森を歩いて、そこで出会った、石とハナゴケ、地衣類という菌類と植物の間のようなものを使いました。日本にも生えていて、それが凄く美しいんです。ハナゴケは、水分の関係だと思うけれど、その森の大きな石の上にだけ生えていました。石とハナゴケを使って、サークルをつくりました。向こうにはストーンシップ(石の船)という、バイキングやその前の時代の人が石で作った船の形をしたお墓がありました。そのフィールドワークをやりながら、その石の船にハナゴケの、リースだと僕は捉えたんだけれど、花を手向けるような、船がたてる白波のような感じでもあるかも知れないけれど、そういうものを作って、そこでパフォーマンスをやりました。

 

 

石舟花輪「ストーンプロジェクト」/スウェーデン

ースウェーデンの地域の特徴的な環境というものは、どういうものなんでしょうか?

とても石が多いんです。ストーンシップのフィールドワークをした時、日本のストーンサークルは縄文時代に多いですが、向こうのストーンシップというのはもうちょっと後の、青銅時代や、鉄器時代で、ストーンシップと一緒に古墳があったりします。王様の権力を示すための物もあるけれど、多分時代がもっと古い。小型な物というのは、権力というものよりはもっと個人的な、家族だったり、親しみのある空間性があって、その感じは、日本の持ってるストーンサークルと近い感じがします。

やはりスウェーデンという場所も、もちろんキリスト教が入っているけれど、古い石の文化を残していて、マイルストーンという何キロごとに石の印を作った物や、ルーンストーンという、バイキングが詩みたいなものを石に刻んだもの等、土着のものを残しています。石という形で、新しい文化に塗りつぶされているのではなくて、自分の古い文化を残してるっていうのが面白かったですね。

アヌンドショーグストーンシップ フィールドワーク/スウェーデン

 

ー日本は歴史や、地理的にも「受け入れる」文化ではないかと思いますが、海外に行かれて文化の違いを感じたことはありますか?

もちろん感じます。日本という場所は歴史的に見れば中国や韓国の影響を受けて文化を創ってきているんだけれども、縄文時代を見ればもの凄い独自性の、唯一無二みたいな、世界美術史的に見ても特異点みたいなものを作っています。元々凄い独特なものを創りだす能力だったり地理的な力を持った場所で、そういうところに外からのものが入ってきた時に、それをもの凄い変容させるというか、日本的なものに変換することで面白いものを作っています。

その力というのは日本文化が持ってる自然と人との共生というか、アミニズムの要素が残っていて、あまりそういう国ってないと思うんです。これだけ経済成長してるのに神社がどこの村にも残っていて、御神木のように自然を大切にしている文化が残っているところは、海外を見てもほとんどなくて、日本は外からきた文化と土着の文化がミックスすることで成り立っている。その受容出来る能力っていうのが、凄く魅力的だと思っています。あと海外に行くとそこにも、凄い面白いものがあって、それがまた日本の文化との共通する部分もあって、何かが立ち上がってくることもあるので、とても面白いですね。

ーなぜ、土着のものが変容して、それを受け入れて変化させていく文化になったのだと思いますか?

おそらくそれは大陸と島っていうことがひとつ重要だと思います。大陸っていうのは国を自ら線を引かないといけないけれど、島っていうのは、もともと海がこう、線を引いてくれていて、外からやってくるものは、必ず海を越えてやってくるものだったと思います。それを多分、寄神2というか、神様みたいに漂着物を思っていたところが昔の人にはあって、そこから来訪神3として、まれびとの概念も生まれて来ています。おそらく受け入れるっていうこと、外からやってくるものを特異なものとして、有り難がるっていうところがあったことと、逆にそういう島で閉ざされているので、独自の文化を育みやすかったという両方から、柔軟な文化が生まれてきたのだと思います。

僕らはここに住んでいるのであたりまえだけれど、世界的に見たらここはもの凄い特異点であって、本当に大陸から見たら、東の果ての島国で、こんなに水が豊かな所もない、木がとても凄い勢いで生えてきて、湿度があって、地震も多い。だから凄く自然の力を、自然の恵みも受け取るし、その被害というか、災害も受けて、それを自分を超えたものとして、敬っていく文化が生まれざるを得なかったのだと思います。世界的に見ても特異な文化を持っていて、自分たちが持っている、あたりまえの力というのが、重要な可能性を感じています。

例えば西洋文化の大量消費とは違う価値観を提案出来る可能性を持っているけれど、明治維新から戦後にかけて、西洋化されて、自分たちが持ってた、良い文化を蔑ろにするような価値観に、日本はなって行ってしまっている。そこでもう一度自分たちが持っているはずのものを見つめ直すというのは凄く大切で、そのことを表現していくのが、表現する者の大切な部分であり、それは世界にも発信していかないといけないと思います。

半泊磐境「五島海のシルクロード芸術祭2015」長崎

 

ー最後に、信州の歴史や伝統についてどのように思われますか?

信州という場所は本当に自然が豊かで、日本の背骨みたいなアルプスの山脈があって、プレートとプレートがぶつかり合ってできた、力の集まっている場所だと思います。縄文時代、豊かな森によって最も栄えた場所の一つであり、造形的に見ても、土偶の表現は日本で最も優れている場所だと思います。造形性を呼び起こす土地は、潜在的な力の強い場所だと思います。近代にかけても教育が盛んだったり、文化がちゃんとある場所で、都心からそんなに離れていないけれど、山に囲まれていることで文化の独自性を保っています。都市中心の文化ではない、地方から文化が生まれていく、生まれていかなければならない時に重要な場所と思います。

アルプスの風景では、冬の雪山が一番好きです。一番厳しい季節でもあるけど、その風景はどんな絵画より美しいと思っていて、そういう景色に囲まれて暮らしている人達がいます。あとは温泉や縄文文化など、暮らすにはおもしろい場所だし、季節によって景色が一変してしまう、生活の変化に富んでいる、大変だけれどおもしろい場所です。四季の差がすごく面白い。秋はきのこ採りに森の中に入っていくのが凄く面白くて、森は葉が落ちると明るくなって木洩れ日がすごく綺麗。春は山菜が採れて、厳しい冬が終わって、暖かい春がやってくること自体が嬉しいです。夏は暑くならず涼しいし、そこで農業をやったりして暮らしている友達がいて、一緒にお酒を呑んだり、美術祭のことを考えたりすることがひとつのサイクルを作っています。

それに加えて、僕にとっては旅が重要で、違う所に行ってものを創ることで、外で出会ったものがフィードバックされて、ここを見つめ直したり、ここで何か創るときの重要なテーマになってます。単純にその土地にいて、その土地のものだけで創るということではない感じがしていて、交換運動というか、向こうにも僕が信州で感じたものを持って行っているし、向こうで出会ったものを持って来て、ここで創ったりすることもある。時差というか、出会ってもその場ですぐ対応しきれないものもあるし、そのズレがおもしろい要素にもなっている。「根」を持つことと、「翼」を持つこと。移動と、その土地にいること、両方があると、いいなという気がします。

 

ーどうもありがとうございました。

 

1 日比野克彦(1958- )は、岐阜市生まれの美術家。東京藝術大学在学中にダンボール作品で注目を浴び、1995年ヴェネチア・ビエンナーレに出品。内外で個展・グループ展を多数開催する他、パブリックアート、舞台美術、ワークショップなど多岐に渡る分野で活動する。参考http://www.hibino.cc/

2 はるかな海上の他界から,海や川を経て漂着あるいは来臨する神。
参考https://kotobank.jp/word/寄神-146519

3 1年に1度季節の変わり目に人々の世界に来訪して,豊饒や幸福をもたらすとされる神々。来訪神信仰は世界各地で広く行われており,日本でもまれびと信仰として盛んである。

参考https://kotobank.jp/word/来訪神-170849

杉原信幸:http://sugiharanobuyuki.net/


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