酒の町、信濃大町

酒の町、信濃大町

長野県大町市は、北アルプスの雪解け水が地下水となり、また地表に現れてとうとうと流れる水の町です。そして同時に、信濃大町は酒造りの町でもあります。北アルプス山麓の軟水、そして冷涼な気候はおいしいお酒を育むのに最適な環境で、酒造三蔵(さんくら)と呼ばれる三軒の酒蔵が酒造りを行っています。慶應元年創業(1865年)の『金蘭黒部』を造る市野屋商店、明治39年創業(1906年)の『白馬錦』を造る薄井商店、そして大正12年創業の『北安大国』を造る北安醸造です。

大町の居酒屋さんに入ると、リーズナブルに三つの味が楽しめてとてもおすすめな、利き酒セットというメニューをよく見かけます。そこで、三蔵それぞれの特徴を伺うと、「辛口の金蘭黒部、旨口の白馬錦、甘口の北安大国」と店主の方に言われます。北アルプスのおいしい水から仕込まれた、酒造三蔵こだわりのお酒をより楽しく味わえるよう、お酒にまつわる文化のあれこれを『金蘭黒部』を造られている市野屋商店の社長、福島敏雄さんに伺いました。

市野屋商店は信濃大町の酒蔵三蔵の中で一番古く、明治初期の建物を現在もそのまま活用している由緒ある酒蔵です。建築的にも美しく、なまこ壁につけられた温度調整の窓や「煙抜き」など、昔からの酒造りの知恵を今に伝えています。

インタビューを受けていただき、どうもありがとうございます。お酒が飲みたくなるような、酒文化についてお話を聞かせていただければと思っていますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。個人的な印象なのですが、この場所は空気が澄んでいて、なんだか神社みたいですね。

酒蔵には神棚があって、お祭りしてあるお酒の神様は、松尾様といいます。京都に大社がある神様で、大町の社殿は酒造三蔵が共同で王子神社にお祭りしております。酒造りがはじまる11月頃に蔵人たちが皆で詣でてお参りをして神事を行います。そこでは「よいお酒ができあがりますように」とか「蔵人が事故にあわないように」とか、一般的な祈願もしますが、神様を祀る別の理由もあります。
というのも、現代ではお酒が造られるプロセスは科学的に解明されていますが、昔はお酒も神様が造っていると思われていたのです。こうじや酵母の働きで穀物がアルコールになるということは皆さんご存知ですが、大昔の人は、お米がお酒になったり、豆がお味噌になったり、そういう素材の働きはとても神秘的なことと感じていたのです。


酒づくりを行う場所を、酒“蔵”と言います。この“くら”という言葉を辞書でひくと、「大事なものをしまっておくための倉庫」という意味と、「座る」という意味があるのです。馬につけて座る道具、あれも「鞍−くら−」でしょう。それは「座る」という意味でつながっているのですよね。昔の人達は、自然の大本にいる神様が、蔵におでましになり、何かしらの仕組みをされて、お米や豆に変化が起きているのだと考えました。
蔵の最初のものは、穀物を貯蔵する蔵です。秋収穫した種子を春になってまきますよね。そうすると新しい芽が生えてきます。冬の間に神様が新しい命を与えて下さったのだと考えられていたのです。
穀倉も、そして酒蔵とか味噌蔵も、建築の形式が土蔵でなくても「くら」と呼ぶのです。それは、そこに神様が座して、何かを起こしている場所ということを意味しているのです。だから酒蔵にはしめ縄が張ってあり、その先は神様のいらっしゃる神聖な場所だということを示しています。

注連縄の先は神様の世界なんですね。道理で空気がいいわけです。

古民家レストランをされている「わちがい」さんを中心に、食関係の有志の方々が、近年、大町市の伝統的な食の掘り起こしをしようという事で「お祭りご膳」というメニュー開発をやっています。昔のお祭りの儀式と宴会を行うためのお料理の献立を参考にしているのですが、それは信濃大町の大庄屋さんだった旧家の蔵からでてきたものです。その献立の中に書いてあるお酒のことが興味深いのですが、二種類の書き方をされている場合があります。それは、「御神酒(おみき)」と書かれている場合と「御酒(ごしゅ)」と書かれている場合です。ここからは私の推測なのですが、神事として神様に捧げるお酒は「御神酒」、そして一般の宴会の料理の時に飲むお酒は「御酒」という書き方で、書き分けていたのではないか思います。
直会(なおらい)という言葉がありまして、一般的に神事が終わると、精進落としをするでしょう。神事のときには肉を食べずに精進料理を食べるので、いつもの生活とは異なる状態になるのですね。そこから「直り合う」、元の生活に「直る」ために、お供えしていたお神酒やお料理をみんなで食して、一度仕切り直しをするのです。ここで神様の世界と日常の間にはひとつのはっきりとした境界線があるのです。キリスト教でもワインはキリストの血なんて言うでしょう。
お酒は宴会とかコミュニケーションを助けるものとしても飲むけれど、世界の至る所で、神様との関わりとしても活用されているのです。
また、直会の由来にはもうひとつの説もあります。文字通り「神様と直接会う」ということです。いわゆる「儀式の終了と日常への復帰」という意味ではなく、神事の中の儀式のひとつとして神様と人が共に食事をするのです。
ですから、献立の中に「御神酒」と記してあれば、儀式として神様と共に飲むお酒、「御酒」はお料理の中の一品として人々が飲むお酒、という風に使い分けをしていたのではないかと思うのです。

図*1

−−お酒と神様の関係、とても深いですね。宴会では人を繋ぎ、神事では神様と関わる。今はお酒といえば洋酒からビールまでいろいろありますが、昔は日本酒が「お酒」ですもんね。日本独自の文化を感じます。

西洋の本式の宴会では、グラスがテーブルに置いてあって、ソムリエ、あるいはサービスする方が注ぎます。対照的に、日本には参加者同士がお酒を注ぎ合う、また酒器を回しあう文化があるのです。盃にも特徴があって、ふちをつかんで渡すと相手は取りづらいですよね、だから、こういうふうに(*図1)盃の糸底を指にひっかけて、ごはん茶碗を持つときのようにして差し出すわけです。そうすると、相手も受けとりやすいし、そのまま口に運べる。これはグラスには無い機能です。
さかずきという文字も、二種類ありますよね? 「杯」と「盃」です。陶芸に詳しい方から、「盃」の文字は「皿にあらず(不)」という風に成り立っているんだよと教えられました。
こういう昔ながらの盃は薄くて小さいから、ちょくちょく継ぎ足さないといけない、そこで人と関わって、盃を交し合うために、わざわざ小さくしてあるのだと思います。そこには、相手を気遣うという日本の文化が表れているかもしれません。結婚式の三三九度の盃とか、お相撲さんが優勝した時に使う大きな盃も同じです。やはり、渡す方は糸底の部分をもって差し出し、受け取る方は盃のふちを両手ではさんで受け取るのです。これも盃を回す、渡す文化があるからだと思います。飲み会は絆を強めるための場所で、そうやって器も作法も形が決まっていったのではないでしょうか。

−−“受け渡し”を重んじる日本文化を表現しているんですね

今は「飲みにケーション」なんて揶揄されていますが、お酒を酌み交わす場は、大切なことを上の世代から下の世代へ引き継いでいくコミュニケーションの場でもあったと思います。
昔は、結婚式やお葬式の専門の式場があるわけではないので、地域で、もっと言うとそれぞれの自宅で冠婚葬祭をやっていました。子供の頃、親戚の結婚式がその方の自宅であって、ぼくも「おちょめちょ」を務めましたよ。正式には「雄蝶雌蝶」といって、婚礼の際、三三九度に使う酒器を飾る蝶をかたどった折り紙と、その酒器でお酒をそそぐ役目の男の子と女の子をそう呼ぶようです。
そして、そういった場所には近隣の、あるいは親戚の年配者が必ずいて、「こういうときにはこうするものだ」と、学校では教えない社会的な風習や常識を、若者や子供たちに伝えていく機会になっていました。
ぼくも若いころは、「世間にはわずらわしいしきたりがあるのだな」くらいに思っていましたが、年を取ると自分もそういうことを若い人たちに伝えたいな、あるいは、伝えてゆく責任があるかなという気持ちが出てきたりします。
このインタビューをご覧になった方が、日本酒を含む日本の食文化や、それをとりまく様々なことに興味を持っていただければ、大変うれしいです。

−−ぜひ、また色々教えていただきたいです。 どうもありがとうございました。

株式会社市野屋商店
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