西丸震哉記念館
木崎湖畔にひっそりと佇む「西丸震哉記念館」。学者でありながら探検家であり、パプア・ニューギニアやインドから信州の山々までを歩き回った、西丸震哉氏の収集物や制作物の展示された記念館です。また、併設されたカフェではこだわりのカフェ・バッハのコーヒーや、本格インドカレーを頂くことができます。今回は、記念館について、そして来年度から始まる新しい展示や試みについて、館長の杉原保幸さんにお話を伺いました。
-高床式のログハウスのような、不思議な建物ですね。
この建物はセルフビルドなんです。この床も全部私が張ったものです。もともとここにあった古い建物を壊したのですが、その廃材も利用しています。
-どのような経緯で「西丸震哉記念館」は始まったのでしょうか?
もともとは私の父の杉原量多朗が建てたクラブ・レイクサイド(白馬自然科学研究所)という研修施設がありました。都会の青少年に自然に触れ学んでもらいたいとの意図で、1965年以降指導を引き受けて下さっていたのが西丸先生でした。その流れもあり、2004年には所長になって頂いた先生の貴重な収集物など展示するため、2008年に「西丸震哉記念館」としてオープンしました。
-西丸先生の収集物とはどういったものでしょうか?
学者でありながら、登山家・探検家でもあった先生のパプア・ニューギニア、台湾、インド、アフリカなどでの収集品が主です。蝶や貝の標本から、現地の人々の生活品、そしてパプア・ニューギニアの食人族の頭蓋骨標本、石器(磨製石斧・ブッコロシ棒)・骨角器などがあります。
―食人族も驚きですが、ブッコロシ棒とはどんな物でしょうか。(笑)
西丸先生のつけた名称で、私がつけたわけじゃないんです。(笑)それ以外にもマサイ族の人形や、登山家でもあった先生による日本の山岳特集などが展示物としてあります。展示物の多様性をみるだけで、非常に多岐にわたっていた先生の興味、研究内容の特異性がわかると思います。
―西丸震哉先生とはいったいどんな方だったんでしょうか?
経歴からして変わっていて、もともとは農林省の食料研究所官能検査研究室長という研究者だったんです。人類と食物の関係を研究するという観点から、環境の異なるパプア・ニューギニアやインド台湾、日本の人たちの味覚調査を実施したそうです。試供品として持参したコメをかれらがおいしいと思っても二度と食べられないので、検査に使わなかったというところが、先生のひととなりをよく表しています。先生は70年代にはもう著書の中で、環境問題や、食の問題への提言もあり、大きく取り上げられています。本当に時代に先駆けた問題意識や知見をもっていた方だったと思います。また、先生は山岳画やイラストを描いたり、作曲まで行っていたんですよ。
―本当にマルチな才能ですね。
芸術から科学までを網羅した「万能の天才」というとレオナルド・ダヴィンチですが、西丸先生もそういったタイプの才能をお持ちだったのだと思っています。個人的に先生のファンになったのは、先生が初めて木崎湖にいらしたとき、車中で仮眠しながら私の父を待っていたのにも関わらず、文句ひとつおしゃらなかったと聞いてからでした。
―お人柄の素晴らしさも感じさせるエピソードですね。今年新しく展示を考えているものなどはありますか?
今年度から新しく、記念館の敷地内で採取された石器類や後期更新世(約13万年前から約1万年前までの期間)の人類の痕跡を示す企画展示を行おうと思っています。
―どういったものなのでしょう?
国立科学博物館での『ラスコー展』でも、日本列島にホモサピエンスが住み着いたのは3.8万年前以降のこととされ、それ以前には日本列島には人類はいなかったということになっているんです。ところが、昨年5月に記念館敷地内での同志社大学を中心とした学術調査団の研究結果(今春正式報告書発行)により、この木崎小丸山遺跡で発掘された石器類は8万年前を遡るものだという事がわかりました。恐らくホモサピエンスではない旧人類がこの周辺で生活をしていたということになります。8万年以前というと、長野県最古ということになりますし、東日本でも最古級のもので、非常に貴重な発見です。私の発掘・採集品に興味をもって下さって、正式に学術発掘調査を行って下さった松藤和人教授には、本当に感謝しています。
―どのような学術発掘調査が行われるのですか?
まず石器類を包含する地層が重要です。今回の石器類が見つかった包岩層は、立山Eテフラと呼ばれる7万年前の立山の噴火による火山灰の降灰層と、立山Dテフラと呼ばれる同じく約10万年前の立山の大噴火の降灰層の間にあります。よって、細かい分析は報告書によりますが、出土石器は火山灰編年で、8万年前を遡るものであるということが言えるとのことです。また、松藤先生が京都の民間分析会社に木崎小丸山遺跡の火山灰の分析を依頼した経費だけでもざっと200万円近いものだと思います。そしてこの発見は西丸先生が食生態学的視点で、原始感覚に基づき立てた説を実証することになります。
―西丸先生は3.8万年以前にも人類が日本にもいたと仰っていたということでしょうか?
西丸先生は13万年以前のリス氷期には海水面が100m以上下がったため、対馬海峡が大陸と陸続きになったとしたら、旧人類は大陸から対馬海峡を渡り無人境の日本列島にやって来ていた、と主張されていました。人類はまだ寒く食料が十分でない時期には貝などの海産物等も食べながら、海岸線に沿って広がっていって、そのあとの最終間氷期(12万年前以降)に地球が暖かくなってきた時期に中央山地にむけてこれまでと同じように5世代100年で1km程度の移動速度で展開していったと見ていました。これを西丸先生は1970年女子栄養大学の『栄養と料理』で『ぼくの人類食物史』として発表していました。愛知県の古いとされる遺跡から200kmほどの木崎小丸山遺跡に10万年前以降に旧人類は到達していた可能性があることになります。こうした点を松藤先生も「西丸先生の慧眼」だと評価しており、西丸先生のファンとしては、これを聞いてとても嬉しく思いました。
―不勉強でもうしわけないんですが、通説はどのように変化しているんですか?
60年代から中・前期旧石器時代存否を巡る様々な論争があったのですが、2000年の旧石器遺跡捏造事件発覚前夜には、多くの研究者が70万年前に原人がいたということを認めていたのです。ところが、捏造発覚後には、今度はその逆に日本列島には4万年以前には人類は居なかったという慎重意見が主流になっています。
―旧石器遺跡捏造事件は当時ワイドショーなどでも報道がありましたね。
当時の事件の後、現日本旧石器学会長佐藤宏之東大教授は警句として「”羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く”(熱いお吸い物に懲りて、冷たい酢の物まで吹いて冷ます)ようなことにならければいい」と述べ、昨年のある考古学誌の巻頭でも「いつまで膾を吹いているのか」と書かれています。
たしかに後期旧石器時代、3.8万年以降の遺跡というのは旧石器学会のデータベースでは日本に1万ほどあるんですが、それ以前の遺跡は十指にも満たないほどしかないんですね。ですが、今回ここで発掘された石器類は科学的研究で、8万年以前のものだということが確かめられました。松藤先生が書かれた長野県の教育委員会への発掘調査終了報告書の所見及び特記事項に「包含層が隣接地(西側)に広がっている可能性があり、今後の開発には充分留意が必要」とのコメントがあるように、ここ木崎小丸山遺跡は、非常に貴重な遺跡だと思います。
―この木崎小丸山遺跡での発見がもっと広く認知されてほしいですね。
実はこの周辺は景観的立地だけでなく、結果的に発掘にとても適した場所なんです。なぜかというと、通常旧石器時代以前の発掘をする際には、縄文遺跡の下の深いローム層を調べる必要があります、調査にも手間がかかるのですが、この一帯は明治29年に糸魚川街道の自動車道を作る際に新たに切通ができた新道(旧国道148号)で、さらに田んぼの床土用に厚くローム層が客土に取り出され、少し掘るだけで約10万年前の地層を観察できます。長野県教育委員会にお断りをし、全国科学博物館振興財団の助成を受けて、その地層や石器の出土状況も観察できる屋外観察施設を普及啓発のために新たに作りました。四月より展示物として公開いたします。
同志社大学の学術発掘の際には大町市の警察署へ、遺物発見届を出しました。この石器類は、8万年以上前の落とし物なんです。文化財というのは国民の財産ですから、きちっと管理を行っていく必要があります。保管場所は同志社大学考古学研究室です。
昨年、原始感覚美術祭と共催して行ったシンポジウムでは、学術調査副団長の麻柄一志さん(前魚津埋没林ミュージアム館長)にお願いして、「約10万年前、立山Dテフラを降らせた立山火山の大噴火が発生させた火砕流で、地元立山の称名滝ができた」との話題を交え、木崎小丸山遺跡の中間報告をしていただきました。正式報告会は松藤先生の全面的協力を受けて2017年度に実施します。
―本日は貴重なお話をありがとうございました。最後に来館者に対してメッセージはありますか?
2017年度には、全国科学博物館振興財団の助成もあり同志社大学の松藤先生や、県内の有識者の方たちを交えて、木崎小丸山遺跡を巡るポジウムも行います。またホームページなどで情報も公開しますので、ぜひみなさまチェックしてみて下さい。4月から記念館も通常開館になりますので、またみなさま西丸震哉先生の足跡や記念館の先生の原始感覚の視点に基づく地域研究の成果を見に足を運んでください。
「西丸震哉記念館」
ホームページ:http://nishimarukan.com/
*12月~3月冬季休館
営業日:金、土、日、月曜日(西丸震哉記念館の開館日)
営業時間:10時~16時30分
入館料:500円(バッハコーヒーまたはカタログ付)
所在地:長野県大町市平10901
アクセス
電車:JR松本駅より大糸線で
信濃大町経由、稲尾駅(無人駅)下車 徒歩4分
トンネル手前を右折、線路くぐってすぐ
車 :中央高速豊科インターより45分
関越自動車道、上信越道長野ICより1時間
バス:高速バスで新宿西口より白馬行き
JR信濃大町駅下車(4時間)
JR信濃大町駅より稲尾駅(無人駅)下車 徒歩4分
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