仏崎山観音寺

仏崎山観音寺

仏崎山観音寺は北アルプスの麓、白砂の鹿島川と高瀬川が合流する場所で、室町時代に創建されました。樹齢400年以上のヒノキや杉、松の木で構成される大樹の森の中、脈々と流れる水路が清浄さを静かに運ぶ空間に、3つの神様が祀られています。

神様1 泉小太郎

日本昔話のオープニングでも有名な泉小太郎は、松本平創生の民話として語り継がれていますが、その泉小太郎の母、犀竜が沼地を圃場の地に開拓し、松本平を開いた後、本堂裏山の石段を100段登った洞窟で没したと言い伝えられています。
また、観音寺は鹿島川と高瀬川の合流地点より1キロ下流に位置しており、仏崎山塊(さんかい)という堅い岩山が激流を防いだという事から、治水の神様としても祀られているそうです。

神様2 馬屋殿

昔はトラクターなどありませんので、畑を耕したり、モノを運んだりする時に、農耕馬がとても重宝されていました。しかし、生き物ですから機械のように調子が悪くなったから修理する事はできません。ですので、観音寺には馬の息災を祈る拝殿が設置され、現在は等身大の馬が祀られている他、文化財にも指定されている「千有一馬集絵馬」という大きな絵馬(高さ210㎝、幅475㎝)があり、この絵馬の寄進者が大北地方のみならず安曇野の方にも広範にいたる事からも、農耕馬の守護寺としての信仰が厚かった歴史を感じることができます。
また、観音寺では昔から近くの河川敷で出店もでるような奉納競馬が行われており、娯楽の少ない時代には大町中の人達が集まり、市街地に人がいなくなってしまうほどの賑わいをみせたそうです。一時は農耕馬が減少し休止していましたが復活し、今も5月の最終日曜日に開催しています。

神様3 乳神様

観音寺は、安産を願い、子宝を授かる事でも有名なお寺です。昔は近くの女学校生徒が入学式の後には観音寺にお参りをする風習もあったそうで、九州方面より子宝が恵まれるお寺が長野県にあると聞いて観音寺にお参りに来られて、その後子宝に恵まれてお礼参りに通い続けている、というお話もあるそうです。

 

観音寺、心成住職のおはなし

観音寺の歴史はあまり文献に残っていないそうですが、口伝によると室町時代に創建され、武田信玄の信濃攻略(1548年)によって焼失した後、再び江戸時代前期(1785年、文明5年)に今の本堂が仁科氏によって建造されたと伝えられています。その辺りの事を含めて、心成住職にお話しを伺いました。

ーお寺は、最初なにがきっかけで建つのでしょうか?

昔は医療が進んでいないので、病気になったりした時の神頼みが多かったんです。お坊さんが勉強を教えたり、子供が集まったり、病をお参りでなんとかしよう、という事から始まって、そこから仏教を布教しようという事で檀家制度が始まって、今のお葬式とか法事にその制度が続いているという感じです。でもうちは、檀家がないんですよ。昔からの御信者寺という。観音寺を信仰していて、お医者さんでも駄目だと言われたらお参りして助けてもらう、という方がうちは多いですね。
観音様っていうのは、最終地点にお釈迦様がいらっしゃって、そこへたどり着くためにお勉強されている方です。だから、何かに困っている人に助け船をだして、施しをさせてあげて、自分の修行の糧にしようというのが観音様の目的です。だから、ご祈祷をする場所なんかは観音様が多いんですよね。

―住職はいつ頃、観音寺に来られたんですか?

13年前です。お坊さんは世襲が多いんですが、私はもともと在家で、父が医者だったんです。医者って生きている人を診ますけど、亡くなったらそのままじゃないですか。その後の事も勉強したかったそうで、そういう父に影響を受けたのだと思います。母が大町出身で祖父も開業医をやっていて、親鸞聖人の事とかをよく勉強していたんです、それで祖父もお寺に通っていて、私もその大町のお寺に弟子入りしたんです。

―以前、観音寺にお参りに来た時にどこからともなく鐘が鳴って、驚いたことがあります。

平和の鐘といって、6時、12時、18時の朝、昼、晩に平和を願って打ち続けています。この裏から10分くらい登った所にあります。戦後60年になりますが、平成から昭和になる頃には戦争でご苦労をされた方々が、戦争が起きないように、という事でお金を集めて、作ってくださったんです。なので、昔からあるわけではなかったそうですが、平和の鐘の隣には涼み堂という月見堂がありまして、大町の全景が望めるような場所です。

ー本堂の屋根の形が特徴的ですよね

これも口伝なんですが、この屋根の形は馬の鞍を象っているとも言われています。江戸時代前期にこの本堂ができたそうですが、昔はトラクターが無かったので、お馬さんが耕していたんですよね。農耕馬が具合悪くなると、耕す事ができなくなり、そうすると食べ物が、お米も野菜も作れない。そうすると一番大事なのは、お馬さんを大事にしなきゃいけないわけです。お馬さんが病気になると困る、困った時にどうするかというと、神頼みなんですね。神頼みと言って観音寺の方に来て、今年もお馬さんが元気で、野菜とか食べ物が作れました、ありがとうございました、と言って感謝して手を合わせてくれていたんです。

それで、地元の人たちが、いつもお世話になっているから、観音寺さんにお礼をしたいという事で、農耕馬の草競馬が始まったんです。お馬さんの元気な姿を観音様に見せる、という事ですね。だから、奉納草競馬、なんです。ここら辺では、馬の信仰が大きかったそうです。

―竜の顔って馬に似てますよね。関係あるんでしょうか?

どうなんでしょうね。ある人が、ここの観音寺は、樹齢400年の松とかヒノキとか杉の木があって、ダイナミックじゃないですか。そうすると、なんだか違う世界みたいな感じだそうです。それで、ある人から見ると、この本堂の上にずっと竜が飛んでいて、なんか光っているんだそうです。それで、パワーをもらうって言われます。私はわからないですけどね、でもわからないのは、ここに居るからわからない。たまに、そういうものを感じる人が、結構いると聞きます。子供さんが病気で死の宣告をされたけども、毎晩お参りをしたら奇跡的に治ったとか、そういう話は聞きます。因果関係はわからないですけど、そういう風に言ってくださる方はいますね。ここは、お願い事をするというよりも、力をもらうという方の方が多いかもしれません。だから、毎月1日には結構ご信徒の方がいらっしゃいます。鬱蒼とした巨木の間を通って、イワナもいる水のきれいな川を渡って、見えない祠のある本堂の方に開けていくのが、どこか異質というか、異なる場所に来ているような体感になるそうです。木と水とお寺の3点セットですから、なかなかないですよね。

―本当ですね、木と水とお寺の3点セット、素敵ですね。

どうも、ありがとうございました。