※こちらは、北アルプス国際芸術祭2021のアーカイブ投稿となります。
大町に住む「土の人」へ
大町に訪れた「風の人」が訊く
大町ならではのプリミティブな物語
北アルプスを知り尽くした山男のよもやま話
〜「源流」の山と里の恵みとは〜
お話してくれた「土の人」
狩野正明(かのう まさあき)さん
元大町登山案内人組合長(平成11年~平成 31年)。
大町市平鹿島生まれ、72歳。
建設 業界で働く傍ら季節を問わず
北アルプスに登り、山岳ガイド兼パトロール隊員として長年活躍していた。
祖母は“鹿島のおばば”として登山家に知られる、狩野きく能さん。
北アルプス国際芸術祭「源流」エリアは、北アルプスの山々と人里を結ぶ鹿島川、高瀬川流域を示しています。「源流」エリア最北にある鹿島集落は、爺ヶ岳や鹿島槍ヶ岳へ行く道中の最後の人里です。往時の登山家にとって登山道の始まりの地であり、人のぬくもりを感じられる心の拠り所でもありました。ここにはある伝説があります。その昔、源氏に追われた平家の落人が鹿島川の源流「カクネ里」(隠れ里)に逃れ、時代を経て山川を下り現在の鹿島集落に住み着いたというものです。そんな歴史ロマンあふれる山里で生まれ、山と共に育ち山を愛した狩野正明さん(元大町登山案内人組合長)に山と里の暮らしについて伺いました。
ー 鹿島槍ヶ岳山麓で生まれ育った狩野さんは、山里でどんな暮らしをされていましたか
俺は鹿島で生まれてずっと鹿島に住んでたよ。狩野家は名字帯刀を許された家系で、先祖は平家の落人だっていう人もいるけどさ、本当か分からんだよな。カクネ里氷河も行ったことあるよ、広い、うんと広いよ。でも人が住むのは無理だと思うよ(笑)
子どもの頃は今みたいに除雪車が来ないから、冬は雪に閉ざされてしまって10キロ離れた小学校に通えなくなるんで、子どもだけ集まって信濃木崎夏期大学(信濃公堂)に下宿したもんだよ。電気コタツなんてないから、炭起こしてただよ。
昔はウサギ追いなんか、よくやったなぁ。村の衆はみんな鉄砲持ってたから「おい、おまえ勢子(せこ) に来い」って言われて、俺、足が速いんで走り回って手伝ったよ。……ウサギはうまいせぇ。特に背中の肉は鶏のささ身みたいな味で。
鹿島の衆ってのは狩猟や畑仕事もしたけど、林業もやったよ。昔は木を切らばうんと溜めといて、いっぺんに川に流して。借馬(かるま・大町の地名)で木を上げて、それを売って銭にしてただ。
ー 少年時代は山が遊び場だったのですね。登山案内人(山岳ガイド)になったきっかけは?
実家が爺ヶ岳の東尾根登山の拠点になる民宿(鹿島山荘)をやってたからさ。死んだばばさん(狩野きく 能さん)が山の衆から親しみを込めて“鹿島のおばば”って呼ばれてて、みんな寄ってくような(登山家に有名な)宿で。親父は「大町登山案内人組合」(以下、案内人組合)や遭難防止救助隊長してたからさ。小さい頃から山に登るのが当たり前にされちまった(笑)
……そういえば、ばばさんが打った蕎麦がうまかったなぁ。昔の家だもんで、あの冷(ち)べてぇところで冷べてぇ蕎麦食うのも、またこれがうまいだよ。
それで高校卒業して仕事してたら案内人の資格取れって言われて、山岳ガイドに引っ張り込まれたわけ。 夏はほとんど山小屋を転々としてて、冬は建設から土木までいろんな仕事をして……。60年以上ずっと山に関わってきたよ。案内人組合は大正6年(1917)に、全国で初めてできた登山ガイドの集団でさ。平成29年(2017)が100周年だったけど、その頃まで20年近く組合長やってたよ。……登った山なんて数えきれっこないね。
ー 登山案内人は山岳ガイド以外に、山岳救助もされているのですか
昭和40年代に案内人組合が山の安全を守るため、北アルプス北部遭難防止対策協会(遭対協)に入ることになってね。登山口で相談所を開設したり、登山道の整備をしたり。
常駐隊(現・常駐パトロール隊)として稜線で数十日過ごしながらパトロールしたり……。遭難防止のためのいろんな活動をみんなでしてるよ。 常駐隊は白馬岳、唐松岳、八峰(やつみね)キレット、冷池、烏帽子岳に居るよ。北部の管轄は槍ヶ岳から新潟県境まで行くだ。槍ヶ岳だって大町市内だからね、遠いだぜぇ!
パトロールにスケジュールなんてねぇわい、一年中だよ。長野県警の山岳遭難救助隊と一緒にさ。遭難だって聞いたらいつでも飛んでくよ。夜中だろうと正月だろうと何だろうと、呼び出しあるだもんで。
遭難救助の話はいくらでもあるよ!……どんな救助も印象深いけど、よく覚えてるのは昔ね、夕方会社にいたら呼び出されて。北鎌尾根で遭難があって、あっこなら訳ないってもう一人の隊員と2人で飛んでっただよ。湯俣温泉過ぎて千丈沢登る頃には暗くなってきてさ。石積んである目印見つけて行ったらだいぶ上の方にライト持ってる遭難者見つけてさ!急いで登ってくけど、だんだんと離れてくんだよ。真っ暗だったから登る沢を間違えたのか……。夜中まで探したけどしょうがないから、人が居るような場所でもなかったけど寝たっていうか朝まで過ごしてさ。明るくなってから遭難者に会えたよ!俺らが帰ってこないから応援も駆け付けてきて。みんなで交代で背負って、やっとこさ下ろしてきた。
そしたらさこの前、種の小屋(種池山荘)から冷池(冷池山荘)に向かって歩いてたときに「すみません」って声かけられて、「あの、私、助けていただいた者です、何十年も前に。その節は本当にありがとうございました」って。よく俺の顔覚えてたと思ってさ。向こうは忘れないもんなんだなぁ。
ー 数多の遭難者を救助してきた狩野さんから、登山者にアドバイスはありますか
遭難する人はさ、別にみんな遭難したくてしてる訳じゃない。具合悪くなったりとか、ケガしちゃったりね。でもさ、救助は生きてる人ばかりじゃねぇから、嫌な話だけどオロク(遺体のこと、山の隠語)も見慣れちゃったよ……。下で家族が待っているから、必死で背負って下ろすんだ。家族に泣かれるのが一番つらいね。抱きつかれて、わんわん泣かれりゃ切ねえぜ……。
そうそう白馬の大雪渓ね、けっこう落石があるんだよね、気を付けて。だで下ばか見て登ってもちっとも良くないよ。常に上見てなきゃ何あるか分からんで!みんな一生懸命に前の人の靴の色でも覚えるぐれぇ下見て登ってるけどさ(笑)周り見て、花見て、景色見て、それが山の面白ぇところだ。
ー 北アルプスの山々を歩き尽くした狩野さんにとって、山で印象深かったことは
山には美しい風景がたっくさんあるけど、いや本当に八峰キレットの夕日はきれいだったせぇ。剱岳へでっけぇのが沈んでくだよ、真っ赤くなって。雲海がずーっと真っ白く遠くまで続いてて、剱の尾根がバンバンバンバンと出てる。きれいだったよ……。ひと夏ここに居たけど、こんなに赤くなるのは一度か二度 あるかないかだよ。キレット小屋泊まったみんなで見てるじゃん。でも誰ももの言わねぇの。だまーって。きれいだなとも言わんだで。……ああいうときは声も出ねぇんだな。
あとは“山の怪談”ってほどでもないけど、不思議なこと俺いっぺんだけあったな。水晶岳から野口五郎岳へお客さん案内して帰るとき、最後に歩いててさ。夕方でちょうど真砂岳の辺りで雨がざーっと降ってきたの。これいけねぇやと思ってカッパ着て、ひょいっと尾根の向こう見たら立ってるだよ、誰か。おっ、誰かジュース持って迎えにきたなと思ってさ。喉乾いてたものだからこれはいいや、あそこまで行けばジュース飲めると思って、どんどん登っていっただよ。人のいた辺りまで来てひょいっと見たら、誰もいねえ じゃん!……俺、見たのは、確かに人なんだよ。あっれーと思ってさ。そのとき初めてうーんなるほど、と思ったよ……。たまに山の不思議な話を聞くけど、そういうことあるんだなって。
ー 狩野さんの思う“山と里の恵み”はどんなものがありますか
山の恵といえば、山にあるものは何でも食うよ。鹿島には山菜はなんでも出る。コシアブラもタラノメも(幻といわれる)ウドブキも……何でも生えてるよ。キノコもいっぱい出るでさ、あんまり採るなよ、重てぇでって(笑)そういや前に下の廊下(黒部峡谷)テント場でナメコ洗ってたら、登山客が来て「それ食べれるんですか?」って驚かれたよ(笑)天然のナメコが珍しいんだねぇ、だからキノコ汁分けてやったよ。 里のものといえば酒なら「白馬錦」が好きせ。山の衆は酒呑むのが仕事みたいなとこもあるし(笑)とんちゃ ん(「白馬錦」醸造元・薄井商店の四代目代表取締役、薄井朋介さん)がつけてくれる熱燗がいい具合だったよ。
ー前回(2017)の北アルプス国際芸術祭はご覧になりましたか
一通りずーっと回って見たよ、全部。初めての芸術祭だったで、せっかく大町でやるなら、どんなのあるかなと思ってさ、だって暇人だもん(笑)自転車でぐるっと回ったよ。印象に残ってるのは鷹狩山の建物の中が白くなってたの(東山エリアの作品『信濃大町実景舎』)が面白かったよ。 次も自転車で回るよ。若い女の子居たら、すぐ声かけるよ(笑)早いよ、そういうときは(笑) 山でもそうだけど、すぐお友だちだわい!
ー 大町を訪れる人にお薦めする山を教えてください
「岳」は簡単に薦められないけど、「山」ならあるね。1、2時間で登るなら鷹狩山だね。……そういや俺たちはよく言ったけどさ、昔から「山じゃないぞ、岳だぞい」って。山と岳は大きさや高さ、険しさが違うでな。北アルプスの山の名前だって山じゃなくて、みんな岳でしょ。 気軽に行くなら鹿島槍スキー場(黒沢高原)の真ん中に車道がずっと通ってるからさ、あの道ドライブしてみなよ。山がきれいに見えるからさ。
参考サイト
大町登山案内人組合
株式会社薄井商店
鷹狩山
HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場
大町山岳博物館
※年齢、所属・役職、肩書きなどはお話をお伺いした当時のものです