青島左門 美術家 第2章「現代美術の原因」

青島左門 美術家 第2章「現代美術の原因」

青島左門さんは、2017年に大町市で開催される北アルプス国際芸術祭の招待作家です。若山美術館、志賀高原ロマン美術館での個展など、現代美術家として絵画、彫刻、コンセプチュアルアート、インスタレーションなど幅広い領域で美術表現をする傍ら、絵本作家として「ほわほわ」や「おつきさま すーやすや」などを福音館書店から発行。また、日本を代表する舞踏家、大野一雄氏、大野慶人氏に師事し舞台芸術活動を行うなど、マルチな経歴をもつ左門さんに、創作の原点についてお話を伺いました。

―現代美術について、どう思われますか?

現代美術の歴史を考える時、やはり重要なのはデュシャン※1だと思います。コンセプチュアル・アート※2という枠組みをゼロから作った事が革新的ですね。レディメイド※3、物を選ぶっていう行為でアートを成立させているんですけど、その様式を作り出したこと自体がアートだと思います。調べていくと「階段を下りる裸婦」がすでにセンセーショナルで、ヨーロッパのほかのアートと比べても最も謎で、理解できないものだった、という事じゃないでしょうか。「階段を降りる裸婦」があったから、レディメイドの作品ができたんじゃないかと。そして重要なことは、デュシャンの「泉」は非常にわかりやすい。美術なのに便器であるというギャップがわかりやすい。あ、わかりやすいというより、インパクトがある、と言う方がいいかもしれません。誰に対してもインパクトがある。
小倉 正史さんという美術評論家に教えてもらったことで、現代美術の始まりは絵の具のチューブが生まれた事だとおっしゃっていました。絵の具チューブという既製品を使うことで、色を「創る」という行為が色を「選ぶ」行為に変化していった。その「選ぶ」という行為はデュシャンのレディメイドの行為とよく似ているんです。そういう意味で既製品とアートの関係を突き詰めていくと、産業革命というのは美術の大きな転換期だったのだと思います。他方で現代美術の歴史を一般化することはできないと思っていて、それぞれの地域の文化史があって、それも含めて考えていく視点が重要だと思います。

―地域の文化史と美術史の関係を考えるという事でしょうか?

現代の潮流が、これまでのようにアメリカが経済的にも軍事的にも圧倒的な力を持っていた時代から、中国も台頭して、ヨーロッパもEUになって、世界が均質化してきていると思います。だからこそ、それぞれの地域における文化史が必然的に重要になってくる。日本の場合は、主体的に文化史を創ろうとする動きがそんなに強くないですが、文化を受け入れる側というか、おそらくそういう地理的な条件もあるんだと思います。
でも、日本にも革新的な美術家がいて、風神雷神を描いた俵屋宗達は革新的だと思います。扇に絵付けをして、絵を売っていました。その宗達がつくりだした空間性を北斎が学んだのだと思います。それがジャポニズムとして印象派に影響を与えました。そういう風に地域の文化史が、世界の美術史につながっている。印象派って日本では有名ですが、美術史の中ではアウトサイダーだったんです。
日本では結構アートとか現代美術に拒否感を持っている人が多いかもしれないですが、実は日本が印象派の価値を見出して集めたことで、印象派が注目されたことは、世界の現代美術史の中で重要です。
世界の中で、日本は湿潤な気候ですが、印象派を日本人が好きなのはこの風土が影響を与えていると思っていて、中国の山水画の中でも昔から、南宗画※4を大切にしてきたことと同じように、日本人は昔から幻想的な印象の絵を好んできました。風土があいまいな日本人の文化や性格を作ってきたと言えるかもしれません。視覚的な芸術はこのような文化の歴史を伝えていると思っています。

例えば、3000年前の歴史を調べようとしたとき、視覚芸術で認識される文化史って非常に大きいんです。その時代の言葉が分からなくても、直感的にこんな生活をしていたんだと、分かることがあるのではないかと思います。そのような時間や空間を越えた共感が、美術の特徴でもあり、情報の伝わりかたとして、とても有効なのだと考えています。情報は遺伝子としても伝わりますが、それ以外の情報の伝わり方が、人類の文化を特徴づけていて、本来の自然に対して謙虚である日本人の感性は、人類が長期的に地球で生活するためには大切なものだと思っています。過去の文明を知るうえで、言語もかなり影響はありますがわからない文字も出てくるので、歴史と美術の関係性はとても大事なものかもしれないですね。

―モノづくりの、社会との接点みたいな部分を、左門さん自身はどのように考えていますか

大野一雄先生に学んだ事でもあるんですが※5、表現は本人、自分だけでは成立しないので、ひとりでも共感をする人がいればそれは成立する、と思います。それがまず、社会との接点を考えるときに大事なことだと思っています。

―表現や創作を通じて、左門さんは何を創造しているんでしょうか?

なかなかその、言葉にするのは難しいんですが、ただひたすら、存在やいのちを捉えたい、という欲求があります。彫刻する事によってそのリアリティを感じている。例えばこうやって話していても、かなり想像に頼る部分が多いじゃないですか。彫刻としてそこに物体が存在している場合は、表現行為の痕跡が確実にそこに存在しているので、検証しやすいというか。よりどころがないとあまりにも漠然としていて、捉えどころがなくなってしまうんだと思います。

―最後に、信州について一言頂けますか?

信州に住んで4年目になります。もともと海の近くで生まれているので、信州は「山」、そこに尽きると思います。日本の特徴を考えた時にも、山脈、山なみを純度の高い状態で象徴的に表しているのかもしれないですね。日本の中の信州なんだな、と感じます。

―ありがとうございました。

第1章「存在のリアリティ」にもどる

※1 マルセル・デュシャン(1887-1968)
フランス生まれの美術家。ニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、現代美術に決定的な影響を残した。参考

※2 コンセプチュアル・アート
アイディアやコンセプト(概念)を重要とした美術表現。参考

※3 レディ・メイド
既製品のこと。芸術の概念としてのレディ・メイドは1915年にマルセル・デュシャンによって生み出された。参考

※4 南宗画
17世紀に出版された画論『画禅室随筆』で流布した流派。禅に南北二宗があるのと同様、絵画にも南北二宗がある。王維の画法渲淡(暈し表現)から始まり、董源、巨然、米芾、米友仁、元末四大家に連なる水墨、在野の文人・士大夫の表現主義的画法を称揚した流派である。参考

※5 「おまえの踊りがいま認められなくたって、千年万年経て誰かひとりでもいいから、認めることがあるとすれば、それは成立する。しかし、永久に誰とも関係のない踊りはだめだ。」
大野一雄|稽古の言葉 , フィルムアート社