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ディレクターズVoice #6

文|総合ディレクター 北川フラム

市街地エリア

 信濃大町駅を降りた正面にある駅前インフォメーションは、越後妻有で籾殻を使った作品をスキー場の斜面につくった増田啓介+増田良子が、アルプスにふさわしいインフォメーション兼事務所をデザインしてくださいました。

 駅前には村上慧が「熱の連帯」と称する落ち葉を使った足湯をつくっている。36.5℃の体温がないと具合が悪くなる人間の身体と、しかし実は身体のほとんどは微生物で構成されていることを知ろうとする野心的な作品なのです。

 その前の道路脇の植え込みには、台湾のジミー・リャオ〈幾米〉によるかわいいオブジェ《私は大町で一冊の本に出逢った》がある。実は私にとっても大町に対する深い思いのひとつは、塩入家具店の主人が始められた、段ボール一箱分の無料貸し出し本棚が市街地のあちこちにあることでした。これにジミー・リャオがこだわって第1回のがんばり屋さんの事務所でブックカバープロジェクトを始め(前田エマが参加)、その事務所がある大町名店街という横町にそれ以来かかわっているという繋がりがあるのです。ここの路地には淺井裕介の素晴らしい作品が描かれているし、お花屋さん、ボタン屋さん、昔ながらの美味しいナポリタンを出してくれるお店があって楽しい。

 駅から1寸入った飲食店街の空店舗で、インドネシアのムルヤナが「居酒屋MOGUS」をやっている。店内には膨大な数の毛糸や洋装用小物が専門店のように並んでいますが、これは売り物ではなくワークショップ用。ムルヤナはコロナパンデミックのときにいつも支給される食事の味気なさに辟易して一念発起、弁当の食材によるコラージュをやり始め、それが一家をなしたといいます。これがフードモンスターの所以です。

 ここから「塩の道ちょうじや」に行くと、奥の塩蔵で山本基の《時に宿る》という塩の作品に出逢えます。ちょうじやさんは、もともと塩の道の大切な中間地にある大町の問屋さんで、建物の1,2階は今は展示室になっているし、町屋らしく奥が長く、そこが塩蔵や漬物蔵になっていて風情があるのです。そこに山本さんの超絶技巧の塩の風景が、湿度75%以下に保たれて展開されている。山本さんには初回の芸術祭でも参加をお願いしていたのですが、奥様が亡くなられて叶いませんでした。氏の塩の作品は人の生死に深くかかわっているものなのです。

 メインの通りをそのまま北上すると、道の右側には山に関する専門の古本屋さん「書麓アルプ」があり、前回北高で展示したグアテマラのポウラ・ニチョ・クメズの大作《自然の美しさと調和》が再展示されています。ここでアルプスに関わる本や、自然や、人間と自然に関する本を見るのも楽しい。50年以上昔、上越や北アルプスを歩いていたころに私も影響を受けた加藤文太郎の『単独行』があったりして懐かしかった。もちろん、ポウラの絵画にみられる、地域の反対側からやって来て初めての雪山を体験した彼女の豊かな社会観はとっても素晴らしいのです。

 市街地の土蔵に鈴木理策の《風の道 水の音》の展示があります。鈴木さんは四季毎に大町に来て同じ場所で撮影するのですが、そこに大町の自然がもつ時間を感ずることがあると言います。それは鈴木さんの内的なる移管の流れでもあって、ここで写真という利器の意味を私は理解したような気持ちになったのです。

自然の美しさと調和
ポウラ・ニチョ・クメズ
風の道 水の音
鈴木理策

 最後は旧大町北高の4作品ですが、芸術祭開始1か月前にお願いし、ガイドブックにも載っていない原倫太郎と原游のユニットのことについて触れておきます。

 原ユニットは前回にも北高で大町の「水」をテーマに水流遊びを考えてくれました。今回、市街地を1時間以上歩いてきて、北高は作品を見るだけではなく遊び、飲食、休む場所として、どうしてもその役割を果たしてくれる作品が欲しくなり、原ユニットに無理を承知で頼んだのです。彼らは越後妻有里山現代美術館MonETの回廊とプールを使った《モネ船長と87日間の四角い冒険》で、10組のアーティストと共に遊びの空間をつくりましたが、快く今度はサイコロゲームで参加型の作品をつくりあげてくれました。感謝です。

 千田康広さんは、芸術祭の前身となる2014年の「食とアートの廻廊」で、遊水地「わっぱらんど」の作品で頑張ってくれた作家で、今回は光とワイヤーで網膜の不思議を感じる作品をつくってくれました。

大町北高双六カフェ
原 倫太郎+原 游
アフタリアル2
千田泰広

 マリア・フェルナンダ・カルドーゾは、杉の木の芯を角材の断面で重ねて見せる4000ピースの空間を作ってくれました。植物にこだわる作家らしい美しい作品です。

 小鷹拓郎の《ダイダラボッチを追いかけて》というフィルムは、現実と虚構がないまぜになったフェイクドキュメンタリーで、ここに登場する現実の人たちは真面目に語ります。それは日常の現実面でアートをみる人の考えによって〇か×で判断されがちですが、それを超える作品になっているかが問われています。

Library of Wooden Hearts
マリア・フェルナンダ・カルドーゾ
ダイダラボッチを追いかけて
小鷹拓郎

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