ニュース

おおまちストーリー #04

※こちらは、北アルプス国際芸術祭2021のアーカイブ投稿となります。

大町に住む「土の人」へ
大町に訪れた「風の人」が訊く
大町ならではのプリミティブな物語

地元に住み続けその土地に詳しい人を
「土の人」と呼び、
旅行者や移住者などを
「風の人」と呼ぶことがあります。
「風の人」は「土の人」から大町を知り、
「土の人」は「風の人」から
大町の魅力を再発見します。
二つの異なる性質が混ざり合い
共鳴し合うとき 「風土」のようなもの
=「おおまちストーリー」
が生まれるのです。 

聞き手:稲澤そし恵(風の人)

「木」と対話し「木」を生かす八坂のフォレスター
〜森の過ごした悠久の時を学ぶ〜

お話してくれた「土の人」

香山由人(かやま よしと)さん

山仕事創造舎 相談役 / 山川草木(さんせんそうもく)代表取締役。
神奈川県川崎市生まれ、59 歳。
平成6年、旧八坂村へ移住。
平成12年、企業組合「山仕事創造舎」創業。
趣味は森でリコーダーを演奏すること。

北アルプス国際芸術祭のコンセプトの一つ「木」。大町市は総面積の88%を森林が占めている森に囲まれたまちです。複雑に入り組んだ植生が織りなす自然のコントラストは、訪れる人々の心を優しく癒やします。そんな美しい森に育まれた大町で起業した、林業家の香山由人さんに「木」についてお話を伺いました。


ー 神奈川県出身の香山さんが、大町に定住されるまでの道のりを教えてください
私は川崎市出身ですが、育った多摩区は大都会ではありませんでした。当時の私がいたのは田んぼと梨畑と多摩川がある自然豊かな所でしたね。ちょうど10歳になったときに京王線が多摩ニュータウンの方へ向けて線路を延ばして、その頃から急速に宅地化が進みました。
大学時代は海外協力の小さなNGO(民間の国際協力組織)アジア井戸ばた会に関わっていて、フィリピンへしょっちゅう行き来してました。井戸掘りの技術を伝えるため、伝統的な「上総掘り」をやってた職人さんに教わりながら一緒にやってみるという感じで。道具を作る鍛冶屋のまね事から溶接まで、そういうプロジェクトに10年以上関わっていましたね。その時の体験と育った自然の多い環境が今の考え方のベースになっているんだと思います。そのNGOで知り合った大学の後輩と結婚することになり、その人が大町市出身だったので周辺で住む所を探すことになりました。

ー 大町でなぜ林業を始めることになったのですか
大町に来たのも偶然で、しかも林業をやろうと考えていた訳ではなかったんですね。妻の実家は市街地にあったのですが、妻も私もなるべく山里がよかった。そしたら以前一緒に活動してた先輩、白戸洋さんという今は松本大学の先生をされている方が、たまたま大町に来ていて。それは白戸さんが弟子入りしていた(農学者として著名な)玉井袈裟男先生が、八坂の笹尾でプルーンのジャムづくりに関わっていたからなのですが。私も八坂に行ってみたらとても良い所で、帰り際に住む場所ならいくらでもあるよと、声をかけられたのが八坂に住むきっかけです。
ここに住むと決めたからには着地しなきゃいけない。この土地らしいことをやろうと思ったんですね。でも持ってるものは自分の体と車1台、それだけしかなかった。こんな寒くて半年は雪があって農業ができない所で、すぐにお金稼がなきゃいけなくて(笑)当時役場から紹介されたのがたまたま林業でした。初めて林業に関心を持ち勉強してみたら、これすごく面白い世界だなって思って。切久保(地名)の勝野木材さんで1年、海ノ口(地名)の荒山林業さんで5年、林業人としての基礎を学ばせてもらいました。そのあと荒山林業の仲間2人と「山仕事創造舎」(以下、山創)を設立しました。山創を20年続けておかげさま で25人を超える大所帯になり、先日世代交代したところです。私は代表から相談役になり、引き続き会社に出入りしていますね。
今は平成25年から始めた「山川草木」という会社で、森林環境教育やコンサルをやっています。あと最近楽しいのがモバイル木材ショップの運営です。軽トラに地元産の材木を積んで移動しながら販売している のですが、ただの材木屋ではありません。「木と森の相談室」という看板を付けていて、木材とか森林についていろいろ話をしていきましょう、というコンセプトのお店をやっています。

ー 日々どのように感じながら山の仕事に携わっていますか
森林を経営するための作業は多岐にわたります。足元の草木の刈払い、伐採や植林、作業道造成などの森林整備を中心に、薪の販売や人材教育などを行っています。木を切るのが仕事というよりは「森を創る」ことを目指していますね。
山の仕事ってものすごく面白いもので、言葉では表現できないような本当に体で覚えて身に付けていく、 その作業の塊なんですよね。そこに最先端の機械やICT(情報通信技術)も活用していて……。自然と技術 がぶつかってくのが、もともとやっていた井戸掘りの感覚に近くて面白いんですね。
林業は先進国にすごく向いてる仕事で、ある程度余裕がないとできないです。食べるのに必死だったら森をみんな切り尽くしちゃうので。ものすごく総合的でしかも長期的に観察する力が必要です。きちんと観察して計画して、森林の循環を壊さないで生かす事業ですね。
でも多くの木々の事情が複雑に絡んでるので、計画しきれないこともある、そこもまた面白いです。だから森林の反応をみて繰り返し繰り返し観察して、試行錯誤する。森林は壊されても再生できるけど、ただその時間のサイクルがね、長い。1000年とか待てないじゃないですか(笑)人間は。だから人間が耐えら れるような森林との良いつき合い方を探していきたいですね。
伐採をしていて個人的に感じることですが、“完全に負ける”と感じる圧倒的な巨木と出会って切るときが稀にあります。技術的なことでいえばチェンソーのバー(刃)の届かない大きな木ということなんだけど、 ちゃんと切ってあげられるかすごく不安なわけで、こちらも覚悟が必要になります。ただ間違えなく接していくと、だんだん自分の気持ちがその木の真ん中あたりに“入ってく”んですよ。木は(倒す方向を決める)受け口と(木を倒す)追い口を見ながら切るんだけど、大きな木だと片側からだけでは切れなくなる ので反対側に回らなきゃならない。気持ちが入っていけたときは手前でやった仕事の続きが、向こう側でもピシッと合うの。そういうことを少しずつ経験すると、何となくその木の方が「ここ切れよ」って教えてくれてるような感覚があって。チェンソーの方がむしろ吸い込まれるように入っていく。そんな経験を、ときどきします。木と対話する、それができたときにちゃんと切れるし、結果的には安全な仕事になるんですね。

ー 林業家として長年大町の森と付き合ってきた香山さん。その特徴や利用の仕方、現状を教えてください
大町は森林が成り立つ地面の条件が、非常に複雑な土地です。北は日本海側の雪、南は(盆地や扇状地の多い)中央高地、西に北アルプス、東には低山帯があって極めて多彩なんです。なぜかというと糸魚川静岡構造線という日本列島を二つに分けるでっかい断層があって、その境目の上に立っているので、地形も地質も極端に違うんですね。JR大糸線の西と東で全く違う。
もう一つは気象条件が日本海側と太平洋側で異なっていて、木崎湖から北に行けば本格的な雪国だけど、 大町の南側はそうでもない。そういう本当に境目の所にいるので森林がむちゃくちゃ多様なんですね。世界的にみても車で30分以内に、こんなにいろんな種類の森林があるのは珍しいんじゃないかな。だから地域全体を代表する樹木っていうのは特にない。「特徴がないのが特徴」ですね(笑)
そんな変化に富んだ森を、昔の人々は生きるために利用していました。山には建材、燃料、肥料になる 木々があるから、電気やガスや石油やプラスチックに依存してない戦前は住みやすい場所だった。今の価値観だとなんでこんな山奥に家があるんだろうって思うけど、全然不便じゃなくていい場所だった。生きていくために必要なものは、全部この山にあったんですね。
山が生活の基準だったから、市街地の方が燃料確保には大変だったみたいです。千国街道があったから商売のために住んだけど、火をおこすにもご飯炊くにも冬に暖をとるにも昔は全部薪なので、日々の焚き物にも困るわけ。山に親戚とか繋がりがあればそこから工面して暮らしていけたけどね。
今、森に入る人が減ったのも当然で、昭和30年代に電気やガスや石油が普及して、やっぱり便利なので一気に山に関心がなくなりますよね。その代わり燃料を買うためのお金が必要になって、みんな働きに出る。この地域でいえば黒部ダムっていう巨大プロジェクトがあったので、そこに行けば一気に稼げるのでね。
人が山に入んなくなったでしょ。結果として動物がだんだん降りて来るようになる。数も増えてるから昔に比べて遭遇することが本当に増えてしまって、鹿なんてもう明らかに多い。熊も時間帯によっては会う可能性が高い。増えすぎた動物の被害は大町だけでなくて全国的に深刻な問題で、何とかしないと農業どころか人の生活が成り立たなくなっちゃうよね。25年山と関わってる感覚でいうと、やっぱり人が山に行かなくなった一つの結果だろうなぁ……。
現代人が山に関わるためには、やっぱり林業機械が入れるような道が必要なんだろうなってことで、国の 方針として今は森林整備の一環として森に道を作ってます。昔の人は馬と一緒に入ってたからね。結局、 山の恵みの山菜やキノコにしても、実は人の手が入っている光の入る森林に出てくるものなので。人が関わらなくなった森林には、人にとって利用価値があるものは出なくなってしまうんですね。

ー香山さんにとって良い森とはどんな森ですか
いい森ってやっぱりね、中に入って安心できる森だと思います。歩きやすいとか、何となく空気がいいと か。状態の悪い森ってのは入ると不安な感じがする。明るくて空気がよくて光も入って、なんか落ちつける感じ。まぁ、人にとっての都合だけどね。ただ、そういう良い森は林業的にもすごく生産性の高い森林になるんですよ。
花粉症があるから杉は嫌われがちだけど、きちんと管理された杉林ってすごくきれいですよ。木は植えたなりに植えた以上の手入れをしてやんなきゃいけない。昔たくさん植えた人工の杉林も天然林に倣って、 時間をかけて作っていけばいい。ただ杉はねちょっと相手としては大変で、条件が良ければ平気で2000年ぐらい生きるやつなんで(笑)むちゃくちゃ寿命の長い生き物なんで、人間の半端な関わりではなかなかうまく理解できないんです。全然できないです。200年ぐらいかけてようやく大人になる木なんで。太刀打ちできない世界……。だから若い森林が荒れてるのは、しょうがないのかなと。荒れる中学生みたいなもんなんで(笑)
これからは衰えてしまった人間の観察力をもう一度磨いていければ、森林と上手に関われると思います。 読書やネットの検索もいいけど、やっぱり実際にフィールドに入るのが早いです。人間の能力はそういうところで生きるから。特に子どもはそういうセンサーがあるので、子どもたちにとにかく体験してもらうことは、すごく大事だと思っていて。林業の専門家として、楽しめる、感じられる、そんな森林づくりにチャレンジしたいし、この大町はすごく向いていると思う。つまり自然が複雑だから、頑張ったってそんな複雑なことできない地域も世界中多いのに、大町は頑張らなくても、とても複雑なのでね(笑)

ー 北アルプス国際芸術祭にはどのように関わられていますか
前回(2017)は山仕事創造舎としていろいろお手伝いさせてもらいました。鷹狩の山頂からの北アルプスの眺望をよくするために、伐採をしました。それから宮の森の水の仕掛け(源流エリアの作品『Trieb ─ 雨為る森─』)のために、うちの伐採チームが木登り技術を使ってお手伝いしました。木の道の作品(源流エリアの作品『源汲・林間テラス』)はこんな感じの材料が欲しいと頼まれて、予算も限られていましたが、たまたま縁のある材木屋さんから太い杉を安い値段で入れることができました。でもいろいろ仕事も忙しかったので、作品自体はあまり鑑賞している時間がありませんでしたね。通りがかりで八坂のものは鑑賞しましたが。
アートは好きですね。偏ってることにある意味、価値があるというか、芸術の一つの力なんだと思っています。それを突破して公の事業としてやってくことは、すごい面白いことじゃないですか。役に立つとか立たないとかその場で判断することじゃなくて、やった結果としていつか世の中が動くわけで。 森もそれに近いんです。森林は基本的に変化に対応することで3億年続いてきたので、固定的なものじゃないですね。生態系って基本的に不安定であることによって成り立ってるので、だから台風や山火事だってそれも自然なんです。人間がやってることも長期的にみれば自然の一部だから、自然に反するんではないってことで。
今回の芸術祭はまた何かしらのマテリアル、素材を提供することはあるかもしれませんね。今度は時間的に余裕ができたので、意識的に時間を取って作品に触れてみるかも。そのときはモバイルショップの軽トラでガタガタ見て周ります(笑)

ー大町に来る人におすすめする場所や食べものを教えてください
気軽に行けるのは鷹狩山ですね。鷹狩山は北アルプス側が展望のために整備されてるんだけど、実は八坂側がすごくおすすめの森林で、この地域の森林についてのほとんどの特徴を持ってます。ない木はブナだけ。それを生かせるような整備を山創で、過去2回入って整備しています。
非常にコンパクトな、わずか2ヘクタールしかない中に、この地域の森林の特徴が生かされてるんです。そういう解説の看板も何もないんだけども、できればその面白さを伝えたいなと思います。(池田町との境にある)大峰高原から始まって(鷹狩山の隣の)霊松寺山のラインが、この地域の自然を観察するのにベストなんです。トレイルランニングの人たちが走ってる、いいルートなんだよね。
食べ物はね何でも好きなんだけど、八坂の「灰焼きおやき」が好きです。あの皮の硬さをぜひ味わってみてください。

参考サイト
山仕事創造舎
山川草木
鷹狩山
明日香荘(灰焼きおやき)

※年齢、所属・役職、肩書きなどはお話をお伺いした当時のものです

カテゴリー