黒部ダムから見る産業文化と歴史 vol.1‖関電トンネルと黒部ダム(黒部川第四発電所)建設のこと

「俺たちがどうしても入れなかった冬の黒部に、サンダル履きで安直な奴らが気軽に出入りするってことだ。」
(映画 黒部の太陽 岩岡武_石原祐次郎の言葉)

秋の黒部ダムは、高く伸びる岩肌をむき出した壁のような山々が色づいて、それはそれはため息が出るような絶景が広がっておりました。
大町市最大の観光地で、日本最大のダム 黒部ダム/黒部川第四発電所(通称くろよん)

「どこからどこまでがコンクリートの建造物で、どこからが山の岩肌なのだろう?」
私はねずみ色にそびえる垂直の壁を見上げながら考えました。
そして、60年前まで人が足を踏み入れることすら困難であった山岳の秘境地帯に、このような日本建築の中でも最大級の巨大施設を建設した人々の熱き精神に想いを馳せるのでした。

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こんにちは。AIR MAGAZINEライターのたつみです。
今回から数回に分けて「黒部ダムから見る産業文化と歴史」についてをレポートしていきます。

大町市最大の観光地であるにも関わらず、黒部ダムは富山県にある建造物なんです。
大町中に黒部ダムのポスターが貼られていて、観光案内のパンフレットにも必ず黒部ダムの紹介がされています。
それでいて、黒部ダムは大町市にあるのではないのです。
私はこのことを知ったのは最近のことで、ちょっとした衝撃を感じたくらい驚きました。

どうして富山県の黒部ダムが大町市の観光地となっているのか?
それには歴史的な深い意味合いがありました。
今回は、黒部ダムの建造に至るまでの過去の出来事をまとめてみたいと思います。

黒部ダムの基本情報と沿線

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【黒部ダムの基本情報】
名称:黒部ダム(黒部川第四発電所と併せてくろよんと総称される)
所在地:富山県中新川郡立山町芦峅寺
ダム型式:アーチ式コンクリートダム
総工費:513億円(昭和30年代当時)
堤高(高さ):186m
堤頂長(幅):492m
堤体積:1,582,000 m³
総貯水容量 :約2億m³
出力最大:335,000kW
利用目的:水力発電
事業主体:関西電力
事業開始年:1956年(昭和31年)
ダム着工年:1959年(昭和34年)
ダム竣工年:1963年(昭和38年)

【黒部ダム建設工区】
第1工区 間組
黒部ダム建設/取水口/導水トンネル/関電トンネル迎え掘り/御前沢渓流取水工事

第2工区 鹿島建設
骨材製造工事

第3工区 熊谷組
関電トンネル掘削/黒部トンネル/導水路トンネル工事

第4工区 佐藤工業
黒部トンネル/導水路トンネル/調圧水槽/トラムウェイ・ロープウェイ工事

第5工区 大成建設
水圧鉄管路/インクライン/黒四発電所/変電所開閉所/放水路/上部軌道トラムウェイ・ロープウェイ工事

【沿線】
黒=ダムのこと 茶色=日本のこと オレンジ=大町のこと

1914年(大正03年) 第一次世界大戦 勃発〜18年
1917年(大正06年) 黒部川電源開発の調査を開始(高峰譲吉 博士)
1919年(大正08年) 高峰氏他 東洋アルミナム設立〜黒部川の水利権取得
1922年(大正11年) 東洋アルミナム 日本電力に経営権を譲渡
1923年(大正12年) 黒部鉄道三日市駅(現 黒部駅)〜宇奈月駅 開通
宇奈月温泉開業
1924年(大正13年) 日本電力 柳河原発電所(黒部川第一)/猫又ダム 着工
1927年(昭和02年) 柳河原発電所運転開始
1929年(昭和04年) 日電歩道(現 下の廊下)開通
欅平〜仙人谷の水平歩道を延長し小黒部〜平ノ小屋を結ぶ
1931年(昭和06年) 満州事変 勃発〜33年
1933年(昭和08年) 黒部川第二発電所/小屋平ダム 着工
1934年(昭和09年 北アルプス一帯が中部山岳国立公園に指定
1936年(昭和11年) 黒部川第三発電所/仙人谷ダム 着工
黒部川第二発電所運転開始
1939年(昭和14年) 第二次世界大戦 勃発〜45年
1940年(昭和15年) 黒部川第三発電所運転開始
1950年(昭和25年) 朝鮮戦争 勃発〜53年
1951年(昭和26年) 関西電力設立(第一号〜第三号発電所の管理運営を移管)
関西で深刻な電力不足となり工場週2日/一般家庭週3回の電力使用制限
1953年(昭和28年) 大町長松田氏ら、町当局者が黒四ルート招致に動きだす
1954年(昭和29年) 大町市誕生〜市を挙げて誘致体制
1955年(昭和30年) 関西電力社長 太田垣社長 くろよん建設を決断
1956年(昭和31年) くろよん建設工事着工
大町トンネル(現 関電トンネル)掘削開始
1957年(昭和32年) 大町トンネル大破砕帯に遭遇し難航を極める〜33年開通
1958年(昭和33年) ダム本体コンクリート打設開始
1963年(昭和38年) 黒部川第四発電所/黒部ダム 完成
1964年(昭和39年) 関電トンネル トロリーバス運行開始
観光ルートとして一般開放

 

黒部ダムはなぜ必要だったのか?(沿線のまとめ)

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(くろよん建設当時に使用されていたケーブルクレーンと、それらを吊るしたワイヤー)

黒部川流域(富山県)には第一〜第四のダムと発電所が建設されました。
「黒部ダム」と言うと、その中で「くろよん」と総称されている黒部ダム/黒部川第四発電所のことを指します。

黒部川流域での発電計画は今から100年も昔から始まりました。
1919年〜、アルミニウム製造を行おうとした東洋アルミナム(高峰譲吉 博士)は、製造に大量の電源を要し、黒部川流域で水力発電を行う計画を開始しました。
(アルミの製造をする為にまずは発電所の建設だ!!という発想は、現代からすると考えらないですね。)

その後、黒部川流域(黒部川/支流の黒薙川と木祖川)の水利権を取得、電源開発に乗り出します。
現在の黒部鉄道がある欅平〜上流へ10キロ十字峡を目指して水平歩道を掘削し運搬ルートを確保します。
黒部鉄道三日市駅(現 黒部駅)〜宇奈月駅間の工事を始め、第一号となる柳河原発電所の建設計画を進めました。

が、第一次世界大戦後の世界的な不況によるアルミニウムの需要激減と高峰氏死去に伴い、東洋アルミナムは日本電力(現 関西電力)に諸々の経営権を譲渡することになります。

1922年〜、日本電力は黒部鉄道三日市駅(現 黒部駅)〜宇奈月駅間を開通させ、宇奈月温泉を開業。
柳河原発電所(黒部川第一)/猫又ダムの建設を開始します。

日本電力は、1927年柳河原発電所運転開始を皮切りに、さらに黒部川上流での電源開発に乗り出します。
黒部川第二発電所/小屋平ダム着工のために水平歩道を延長し、日電歩道(現 下の廊下)を開通。(岩肌をくり貫いた狭小の歩道で、資材を運搬する際に滑落者が多く出たと言われている)
1936年第二発電所運転開始。

1931年に勃発した満州事変を契機に、日本経済は戦時体制強化と対外貿易の好景気となり、電力需要が激増。
日本電力は黒二の完成を目前に、1936年には更に上流で黒三の建設を開始しました。
1940年第三発電所運転開始。

黒三の仙人谷ダムに至るトンネル工事中に高熱地帯に遭遇、岩盤の最高温度は165度に達し、工事は難航を極めました。

1945年第二次世界大戦後、日本は復興と社会基盤の整備進められ、工業化や商業化などの産業振興に伴い、電力需要が増大しました。
しかし、電力供給が追いつかず、慢性的な電力不足が続きました。

1951年第一号〜第三号発電所の管理運営を移管され設立された関西電力は全力で電源開発に取り組みます。
(発足時 水力発電所130箇所113万kW/火力発電所16箇所115万kW/計228万kWを有していた)

1955年度末までに11箇所の水力発電所を新設、並行して火力発電の増強を図り、発電量は228万kW→260万kWに増強されました。
それでも、高度成長期の電力需要にはまだまだ電力が足りなかったのです。

その為、関西電力は、最大出力25万8,000kW(当時の計画)のくろよん建設に踏み切ったのです。
(現在の最大出力は33万5,000kW)

黒部ダムはなぜ必要だったのか?=日本の電力需要を賄うには建設は必須だった

大町市と大町トンネル(現 関電トンネル)

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1968年に公開された映画【黒部の太陽】を皆さんはご覧になったことがあるでしょうか?
私は今回の記事作成の為に初めてこの作品を見ました。
見る前は「黒部ダム建設を描く映画」だと思い込んでいたんですが、実際には「大町トンネルの掘削を描く映画」だったんですね。

世紀の大工事となった黒部ダム建設(総工費513億円は現在の価格価値に換算すると10倍〜15倍ほどに成るそうです)ですが、これを進めるには「資材輸送路」が必須でした。
当時、大町トンネルが開通しない段階において、ダム地点に至るには

①日電歩道(仙人谷〜黒部川を沿うルート/滑落の危険がある)
②立山ルート(立山の一ノ瀬峠標高2,730〜御山谷に沿って黒部奥山新道を下るルート/アルプスを越える必要がある)

の二つしかありませんでした。
その為、大町トンネルの開通は急務で、第三工区担当の熊谷組が1956年8月より掘削を開始しました。
1957年5月最新の掘削設備で順調に掘り進む中、入口から1,600の地点で毎秒660ℓの地下水と大量の土砂が吹き出しました。
「破砕帯」にぶつかってしまったのです。
破砕帯とは、岩盤の中で岩が細かく割れ、地下水を溜め込んだ軟弱な地層のことです。
(映画黒部の太陽は、この破砕帯突破に至るまでを中心に描いた作品で、実話を基に制作されました)

大町トンネルの全長は5.4km。
破砕帯の幅は82mで、この区間を抜けるのに7カ月を要しました。

1958年2月 大町トンネル貫通〜資材搬入路が整備されました。
1959年9月 ダム本体の建設が開始。
1963年6月 黒部ダム完成。

大町市が誕生する以前から、このくろよん建設へのルート誘致は開始されており、大町市誕生後翌年(1955年)議会一致で本格的に誘致が行われました。

大町市は黒部ダム建設関連の事業や就労、関係者が町に溢れ経済的に大きな影響を受けました。
黒部川第四水力発電所建設事務所が大町市商店街に設置され、資材倉庫とセメントサイロが現在の文化会館周辺に設置され、建設に必要だったセメント骨材製造工場が蓮華大橋下流に建設されました。

大町トンネルの掘削には700人/日の作業員があたり、ダム建設当時には大町トンネルを積載量20t〜30tもの外国製の超大型ダンプが何十台も往復し、80tもの火薬を用い行われたダムサイトの大発破が行われ、ダム本体のコンクリート打設量では日本新記録を樹立しました。

伝説的な建設当時の全ては、この大町トンネルがなければ成しえないことだったのです。

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「当時はすごかったんだよ。町は人で溢れていたんだ。」
大町市商店街のおじちゃんが私に幼少期の町の話をしてくれました。

日の出町の飲屋街の賑わいのことや、芸者さんがいたこと。
旅館も銭湯も映画館もボーリング場も、駅前の商店街の周辺には揃っていたと話します。

トリーバス乗場の扇沢駅〜黒部ダムまでは、15分とちょっとで到着します。
その区間の往復運賃は2,570円。
いままでは「高い!」と感じていたこの価格も、当時の壮絶な建設のことを知れば恐縮ばかり。

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「俺たちがどうしても入れなかった冬の黒部に、サンダル履きで安直な奴らが気軽に出入りするってことだ。」
と、石原祐次郎が演じる岩岡武はそう語りましたが、その後大町トンネルの第一線に立ち建設に従事します。
実際に、晴れた秋の黒部ダムにはサンダル履きの観光客の方がたくさんおられました。

私たちが生まれるずっと前に、私たちが暮らす大町で行われていた黒部ダム建設のこと。
歴史を知れば知るほど、先人の過去の偉業に頭が上がりません。

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現在、黒部ダムを含む「立山黒部アルペンルート」は、年間100万人が訪れる観光ルートとなりました。
大町と黒部ダムは、歴史的に密接な関係があり、大町市民にとってなくてはなくてはならない場所となっています。

次回vol.2では、ダム建設当時のの大町市についてのレポートを予定していおります。
過去の歴史を学ぶことは大変な労力と時間がかかります。
それでも、自分が暮らす街のことを、もっともっと学びたいと思います。

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黒部ダム建設に興味を持っていただいた方は、黒部ダム内に建設当時の歴史や出来事を学ぶことのできる展示スペースが設けられていますので、是非黒部ダムへ足をお運びください!
そして、黒部の太陽もとても見ごたえのある作品ですよ。

それでは、次回へ。

記事&写真
たつみかずき

出典と参考文献/メディア
・映画 黒部の太陽
・黒部ダム内展示 黒部の物語 常設パネル及び映像
・冊子 ドラマ黒部の太陽とくろよん建設の記録(大町市観光協会)
・くろよん50周年記念誌(関西電力株式会社)
・地図 Japan ALPS
・google map