大町市美麻新行のそば‖山間の農村のあゆみと蕎麦
「『蕎麦が欲しけりゃ、新行に買いに行け。』私がこの村に嫁ぐ前から、私の暮らしていた小川村ではそう言っていたんです。」
大町市美麻(旧美麻村)新行-SHINGYO-地域の蕎麦屋【山品】を現役で切り盛りするお母さん、竹折房子さんは私に昔話を話してくれました。
夕方前の閉店後、つい先ほどまでお客さんで賑わっていた客間には静かな時間が流れていました。
外は太陽が傾き、夕暮れ前の少しオレンジがかった穏やかな時間でした。
こんにちは。AIR MAGAZINEライターのたつみです。
今回は、大町市美麻(旧美麻村)新行の「蕎麦」の歴史についてを取材しました。
お話を伺ったのは新行の老舗の蕎麦屋【山品】の竹折房子さん。
蕎麦の名所となった新行のこれまでのことについてと、毎年この新そばの時期になると開催される「新行そばまつり」の成り立ちなどをまとめたいと思います。
ここ新行(しんぎょう)には蕎麦の畑が広がっており、今まさしく稲刈りと同時期に、赤茶けた蕎麦は収穫を待つ頃でした。
古くから佇む家々と、ゆっくりと回る水車。
その向こうにそびえる北アルプス。
山と山と間に、わずかに平らが続く新行の集落は、絵に描いた「田舎の風景」です。
-大町市美麻新行の風景と立地
大町市の東側に位置する旧美麻村の新行は、標高900mほどの高地で、長野市〜白馬村間を繋ぐオリンピック道路(県道31号線/33号線)へ接続する大町街道(県道33号線)が通る地域です。
山を登り、下ったところに真直ぐと道が走り、その周囲に集落が形成されていて、南北共に集落を抜けるとまた山を登るように道が続きます。
山道から急に開けた景色が広がり、大町街道沿いには、田んぼや蕎麦の畑が広がります。
夏は青々とした稲と、真っ白な蕎麦の花が一面に広がり、のどかな農村風景となっています。
冬は一面が雪景気となる積雪のある地域で、この写真から南側にはかつて大町スキー場が運営されていました。
旧大町スキー場(中山高原)は、いまでは春は菜の花、夏は蕎麦の花が有名で、このように高原いっぱいに花が咲くのです。
(写真は、中山高原内【美麻珈琲】前から撮影したものです。)
「蕎麦の花」と言ってもあまりイメージがわきにくいかもしれませんが、夏にこのような白い花を咲かせます。
長野県の標高が高い農村地域で見られる、とても素晴らしい景色です。
-大町スキー場と学生村の賑わい
「私が嫁いできた昭和35年頃(1960年)は、スキー場がすごくてね。大町スキー場はここら辺で一番早くにできたスキー場だったから、当時はたくさんお客さんが来てたんです。どこの家も民宿をしていて、うちは民宿の他にヒュッテや食堂、貸しスキーをやっていたんです。」
昭和初期から新行の中山高原ではスキー場が開発され、昭和12年頃(1937年)には中山高原スキー場の運営を開始。
その後【大町スキー場】と名称を変更し、たくさんの人が新行に訪れたそうです。
昭和27年(1952年)には、スキー場のお客さんを受けれるため民宿が開業されました。
学生村での学生の受け入れが始まり、スキー場の来客もあったことから、新行では18軒の民宿(元は農家)が開業されたそうです。
山品さんも当時は民宿を営んでおり、その時の食事に新行の蕎麦を振舞われていたそうです。
平成20年(2008年)に雪不足とスキー人口の減少のあおりを受け休業となりました。
現在はNPO法人中山高原森の風さんが【チャレンジフィールド】としてオフロード体験ができる施設として利用されています。
昭和37年(1962年)からは「新行高原学生村」を開始し、高校/大学生が夏休みを活用して多く訪れるようになったそうです。
スキー場と学生村により、もともと蕎麦や麻(米は当時は技術的に多くは作られていなかった)の栽培をしていた農村地域の新行には、たくさんの人が訪れるようになりました。
-新行の蕎麦
「昭和35年頃(1960年)、私はとなり村から嫁いできたんです。その頃は今よりももっと蕎麦の畑が多くて、一面が蕎麦の畑でした。あの木のところもね、蕎麦の畑だったんですよ。」
北アルプス山麓地域では嫁入り修行の一つに「蕎麦打ち」があると聞きますが、これは山品のお母さんが嫁ぐより前は必須の条件だったそうです。
「嫁入りをするのであれば蕎麦が打てなければいけない。」という、地域特有の風習があるくらい、地域の食として「蕎麦」は当時欠かせないものだったそうです。
お母さんが新行に嫁ぐ遥か昔から蕎麦は作られており、冒頭にも記したようにお母さんが幼少の頃から新行は蕎麦で有名な土地柄だったそうです。
私が新行に取材に出かけたのは10月12日。
今年(2016年)は秋に入ってからの雨が多く、稲刈りも蕎麦の収穫も全体的に遅れたそうです。
写真は山品さんのすぐ近くで、蕎麦の収穫を機械で行っている様子です。
-蕎麦屋山品とそばまつり
山品さんは大町街道から少し西に入った集落の中にあります。
元は民宿をされており、当時から民宿のお客さんに蕎麦を振舞っていて、45年程前から民宿から蕎麦屋さんへと移行したそうです。
山品さんは地元の人たちもよく通うお店で、私も個人的に来たことがありました。
取材を始める前に早速新蕎麦をいただきました。
(食レポではないので深くは語れませんが、最高に美味しかった。。)
「民宿から蕎麦屋を始めて45年くらいになります。その当時4軒の民宿が一緒になって蕎麦屋を始めました。街中では蕎麦屋は珍しくなかったと思いますが、農家が蕎麦屋を始めることは珍しいことだったと思います。」
お母さん曰く、このように座敷の畳に座り蕎麦を食べるのが新行蕎麦のルーツ。
この地域で古くから食べられていた昔ながらの田舎蕎麦が、新行蕎麦であるのだ。
そのように新行蕎麦のことを説明してくださいました。
「そばまつりは私たちが蕎麦屋を始めた時に、みんな(当時蕎麦屋を始めた4軒)で一緒になって始めました。今ではそばまつりがあちこちで行われていますが、当時はそういったものは他にはなかったと思います。」
そばまつりとは、毎年この時期になると当時の4軒(現在は3軒)で組織した「新行そばを守る会」で開催する催しで、この催しから収穫したての新蕎麦が振舞われます。
(開催店3店を回るスタンプラリーが楽しめます)
◯新行そばまつり開催店
・山品
・古家荘
・ヨコテ屋
10月10日〜11月20日
新行は標高の高い地域で且つ火山灰土の痩せた土地だったため、蕎麦の栽培に適していたそうです。
(お米の栽培には適さず多くは取れなかった)
土地柄の風土により、蕎麦は新行の暮らしの中心にありました。
郷土食であり、地域産業の中心である「蕎麦」
私はよくこの新行を車で通過する度に、「のどかな農村にどうして蕎麦屋さんが並んでいるんだろう?」と疑問に思っていました。
今回自分が暮らす地域の歴史に触れることができ、もっともっと地域のこれまでのことを探求したい!という好奇心がより強くなりました。
地域に根付く歴史と文化から生まれた「新行の蕎麦」
古くから受け継がれてきた素朴でありながら香り豊かな蕎麦を、少しだけ昔を感じながらいただいてみては如何でしょう。
記事&写真:
たつみかずき
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