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おおまちストーリー #07

※こちらは、北アルプス国際芸術祭2021のアーカイブ投稿となります。

地元に住み続けその土地に詳しい人を
「土の人」と呼び、
旅行者や移住者などを
「風の人」と呼ぶことがあります。
「風の人」は「土の人」から大町を知り、
「土の人」は「風の人」から
大町の魅力を再発見します。
二つの異なる性質が混ざり合い
共鳴し合うとき「風土」のようなもの
=「おおまちストーリー」
が生まれるのです。 

聞き手:稲澤そし恵(風の人)

やさしく学べる大町の地質学入門
〜重なり合う大地と古道と文化とアートと〜

お話してくれた「土の人」

矢野孝雄(やの たかお)さん

地質学者、元・市立大町山岳博物館専門員。
愛媛県松山市生まれ、70歳。
鳥取大学教育地域科学部教授、
同大学地域学部教授を歴任。
日本地質学会研究奨励賞、地球科学賞、
地球科学フォト賞受賞。安曇野市在住。

北アルプス国際芸術祭のコンセプトの一つ「土」。日本列島を二分するフォッサマグナという巨大な地溝は、大町の特異な自然環境を生み出しました。躍動する大町の大地について、元・市立大町山岳博物館専門員で地質学者の矢野孝雄さんに、生命を育む大地の成り立ちから地理を通して感じる大町の魅力まで幅広く伺いました。


ーどのようなご縁で大町山岳博物館にいらっしゃいましたか
生まれは四国の松山です。「坊ちゃん」こと夏目漱石が降り立った港、三津浜育ちですね。何をやりたいということはない、ほとんど勉強しない子でした(笑)でも高校2年のとき修学旅行で乗鞍、上高地、松本などに行き、信州の山々にすっかり感動してしまいまして。それで信州大学理学部地質学科を受験し、北杜夫(『どくとるマンボウ』シリーズで著名な作家)も住んだ松本の「思誠寮」に入りました。小さな豆炭こたつで暖を取っていても、朝には部屋の中まで凍る、廊下の防火バケツも底まで凍るという(笑)楽しい学生生活を送りました。
実は卒業論文を書くため大町市にも来ています。美麻や八坂など東山一帯を調査したのですが、貧乏学生だから旅館には泊まれないので民家に泊めていただくんです。大学からのあっせんなどは一切ないから、自分で直接お願いに行ってね。千見(せんみ、美麻の地名)の雑貨屋さんをはじめ地域の皆さまには、本当に良くしていただきました。千見から小川、鬼無里(きなさ)へ行って。南下して松本、上田まで10年ほど調査をしました。バイクで山に入って川筋を歩いて石や岩を調べるのですが、多い年で1年間で200日ぐらい調査しました(笑)研究室で実験しているよりも私の性には合ってたんですね。
その後大学院生として新潟大学と広島大学で6年、教員として広島大学で17年、鳥取大学に19年いました。退職後は四国へ帰ることもできましたが、どうせならば憧れの信州にと思い穂高に住むことにしました。たまたま、信州大学にいらっしゃった恩師、小坂共栄先生が市立大町山岳博物館(以下「山博(さんぱく)」)にお勤めで、その後任の専門員として採用いただきました。

ー 大町山岳博物館ではどのような仕事をされていましたか
山博では化石や岩石の標本登録を担当したり、その解説リーフレットを作ったり、平成30年には企画展「北アルプス誕生-激動の500万年史」を担当しました。また学校向け学習プログラムを通じて、大地のつくりと変化について考える授業を小・中学生向けにしました。地学分野はなかなか取っ付きにくいんですが、東山で地層の見学や化石採集をやってもらいました。旧・大町スキー場では地層が見える所に生徒さん達と行って、北アルプスにある立山火山が噴火して積もった火山灰の地層を観察します。「この地層はいつできたと思う?」って考えてもらい、3万年前に噴火して60センチも火山灰が降った話をします。立山火山は約15万年前、約9万年前、約3万年前と大体6万年ごとに噴火しているので「今から3万年後ぐらいに噴火するかもしれないよ」って、まぁ心配する必要ないんですけど(笑)そんな説明をします。地層ごとに色が違うのを観察し、その中の火山灰を取って水に入れて泥を落とします。火山灰ですから、中から鉱物が出てくるんですね。そのキラキラ光る小さな結晶を見つけると、子どもたちは火山灰がマグマからできたことを理解してくれます。その地層は5~6メートルあるのですが、地層が柔らかいので崖に生徒さんたちが登って上から滑って降りてきたり、大変楽しい授業ですね。そっちの方が面白かったみたいですが(笑)

ー 大町の地形を「岳野湖山(たけのこやま)」と表現しているのが面白いですね
北アルプス山麓地域の地形を説明するのに、パッと覚えやすい言葉はないかなとずっと考えてきたんです。それで思いついたのが「岳野湖山」です(図1参照)。「岳」というのは北アルプス、「野」は複合扇状地でできている安曇野のことで、木崎湖畔まで安曇野になります。「湖」は仁科三湖、「山」は美麻や八坂などを含む大峰山地、つまり東山です。大町市はこのような4つの地形の組み合わせでできていると理解できるんです。それぞれ素晴らしい地形景観でして、そういえば国際芸術祭のアートサイトの区分に似てると言われたことがありますね。
大町が「岳野湖山」でできていることを理解して頂けたら、かの有名なフォッサマグナ(大地溝帯)が関係する大地の成り立ちは「かまぼこ、卵焼き、はんぺん」(図2参照)で説明します(笑)「岳」(北アルプス)は、約250万年前頃から横の力や地下にある活発なマグマが岩石を押し上げてできたので、こんもりと「かまぼこ」型にもり上がっています。「岳」ができたのは、46億年の地球の歴史からみるとごく最近のことで、びっくりすることに、700万年前に中央アフリカで人類が誕生したのよりも新しいんですよ(笑)
「岳」は土でできていると思う方もいますが、それは表面だけでその下は硬い岩石なんですね。今でも1年間に4ミリぐらいずつ隆起しています。でもそれと同じくらい山崩れが起きたり川に削られたりして侵食されているので、北アルプスの高さが3000メートルほどでそろっているという考え方もあります。
一方「山」(東山)は地面が平らなまま押し上げられてできた「はんぺん」のような山です。標高が1000メートル前後で、市街地から「山」を見ると高さはほとんどそろって見えます。実は「山」は約2000万年前から約200万年前まで海だったんですね。いっぱい化石が出てくるんですよ。そんな「はんぺん山」は耕しやすく、里山として人が住みやすい場所になりました。
「野」(安曇野)は「卵焼き」で表現しました。「岳」が「かまぼこ」型に隆起すると、縁(へり)は斜めに沈むんです。そこにできた三角形の凹みを川が運んでくる土砂が埋め立ててできたのが「野」です。ちなみにこの模型の卵焼きは妻に作ってもらいました(笑)
地元に住んでいると「岳野湖山」があるのは普通のことのように思えますが、都会ではこうはいかないですよね。大都会は真っ平らで、標高差が生み出す景色や生物多様性に乏しい。でも北アルプスは上にはライチョウがいて、真ん中にクマやカモシカがいて下では人の営みがあって……。一つの市の中に「岳野湖山」があって、こんなに変化に富む世界を作っている。これはもう大町の絶対的な財産ですね。……日本列島の中でも最高級の自然空間をこんな風に私は説明しています。

ー 大町からみる北アルプスが美しいのには理由があると伺いました
穂高から山博に通勤していたのですが、安曇野市と大町市では北アルプスの見え方が違うことに気付きました。「卵焼き」(安曇野)を北上して大町市常盤地区ぐらいからですかね、白く輝く美しい山がぐんぐん近づいて来るんです。これは何でだろうな、と。なぜ大町・白馬から見る北アルプスが際立って美しいと感じるのか、考えながら通勤していたところ、小さな発見をしたんです。国道147・148号線の標高と北アルプスの山なみ(尾根)の高さをグラフにしてみたら一目瞭然でした。図3の「前山1」が常盤辺りで急に低くなるので、大町では北アルプスの3000メートル級の主稜線を麓から山頂まで一望することができます。また山を見上げる角度、仰角も関係しています。大町は主稜線までの距離が安曇野南部より近いので、北アルプスがより高くより大きく感じるのです。雪深い後立山連峰では晩秋から初夏にかけて雪の峰々が見られるのも、美しく感じる理由でしょうね。そんなからくりがあるように思います。北アルプスを眺めるときには市街地からだけだともったいないので、ぜひ郊外にも足をお運びください。同じ北アルプスでも麓の野口(平地区)から見上げる、塩の道が通っている館之内(たてのうち・社地区)の段丘から見る、新行(美麻地区)から東山越しに見る、それぞれ違って美しいです。美麻の藤(ふじ・地名)から見るのはまた趣向が違っていて、だんだん畑と壮大な北アルプスの姿を見られますよ。

ー大町を通る歴史の道「塩の道」についても研究されているそうですね
松本と糸魚川を結ぶ千国(ちくに)街道、通称「塩の道」ですね。古くは黒曜石やヒスイを運び、近世では塩、魚、農産物、日用品を運んでいた交易路です。時代によって道が通る場所が変化するのを、地形学的に研究していました。中世以前は姫川峡谷を避けて山道を通っていましたが、近世に土木技術が発展し姫川沿いを通れるようになって、少しずつ距離と起伏が最小化されていきました。今は国道148号線やJR大糸線で大きな上り下りもなくスーッと通れるようになりましたね。
塩の道は大町辺りでは糸魚川静岡構造線の一部、松本盆地東縁断層(図2参照)に沿っています。松本から大町は「卵焼き」で平らなので足の速い馬で荷物を運びますが、仁科三湖や白馬を過ぎて小谷(おたり)村の千国に着くと、馬から山道に強い牛に替えていたそうです。千国は糸魚川から来た塩や海産物と、松本から運ばれた農産物を交換する交流の中心地だったので「千国街道」と呼ばれたんですね。この千国から北の地形を見ていただくと、とんでもない所を越えていくのが分かります(図4参照)。一見姫川沿いが歩きやすそうですが断崖が続くため大変危なく、山道を歩いて峠越えしていました。夏でも大変な道ですが、冬は牛が歩けないため歩荷(ボッカ)と呼ばれる人が担いで運びました。昔話に『牛方(うしかた)と山んば』というのがありますが、物流を担う人の苦労や道中の厳しさを恐ろしい山姥になぞらえているのではないかと感じています。
研究からはそれますが、塩の道を往来した人々とそれを支えた地元の人との間に培われた“まごころ”が今も脈々と受け継がれているのでは、と私は仮説を立てています。以前大町の女性が「他人が困っていると何とかしてあげたくなる、他人の喜びを自分の喜びのように感じるような風土がある」とおっしゃっていました。それを聞いて「大町周辺の人たちが情に厚い」と言われる理由は、塩の道にあるのではないかと考えるようになったんです。元同僚が話していましたが、同じ長野県内でも北西に寄れば寄るほど、人の情が厚いっていうんですね。他地域から大町に引っ越した人何人かに聞いても、なんでこんなに親切なんだろうと思うそうで、私自身も大変良くしていただきました。
例えば歩荷の方が松本藩に寒ブリを運ぶとき、険しい雪道を越えて大町に来る訳です。その大変な姿を見たら損得抜きにね「安全であって欲しい、何とかしてあげたい」という気持ちが、自然と湧き起こるのではないでしょうか。厳しい自然環境にあったからこそ“まごころ”が生まれ、今も塩の道の遺産として人々の心の根底にあって、おもてなしの気持ちを生むのではないかと思っています。地形が道を作り、道が人の心を作る。あくまで私の考えですけどね。

ー これから大町に訪れる人におすすめできる風景や味を教えてください
まずは大町山岳博物館に訪れて頂きたいですね。決して大きくはありませんがコンパクトで洗練されていて、全国の人に愛されている歴史ある博物館です。「山の成り立ち」や「山と生きもの」「山と人」の関わりについて分かりやすく展示してあって、3階の展望ラウンジからは北アルプスがとてもきれいに見えます。無料で入れる付属園にはライチョウやカモシカもいますよ。
大町を訪れたら食べていただきたいのは「えご」です。日本海で採れた「えご草」という海藻を煮溶かし冷やし固めたもので、昔、福岡から北前船で伝わってきたようです。今の日本海側を考えるとイメージしづらいですが、明治以前の日本海航路は日本の物流の大動脈でした。えごは新潟から塩の道を経て大町に来た歴史ある食べ物なんです。昔は冠婚葬祭にしか食べられない高級品でした。長野県内でもえごを食べる地域は限られていて、塩の道の文化遺産の一つですね。

ー 前回(2017)の北アルプス国際芸術祭はご覧になりましたか
何となく芸術というのは縁遠くて……(笑)でも前回(2017)は職場の人に勧められて、山博近くの作品は見ました。妻が布施さんを大好きで、私も見ましたよ。感激したのは霊松寺での作品(高橋貞夫『伽藍への廻廊』)ですね。作品と堂内の雰囲気がマッチして本当に素晴らしいと感じました。
芸術祭は一種のお祭りですよね。私はね、ある地域を知りたいときは博物館に行くか、お祭りを見るようにしています。お祭りはその中に歴史が凝縮されているからです。大町だと若一王子神社の夏祭りが有名ですよね。鎌倉時代に由来するとされる流鏑馬(やぶさめ)から始まって、近世の伝統を受け継ぐおはやしや舞台、武士のはかまやかさの姿もあり、明治昭和の影響があって……、そんな文化の厚みを感じられるんです。横並びでなく時間軸で縦に見れば、平安から重なってきたそれこそ地層切断面のように文化が蓄積されているんです。だから国際芸術祭も現代版の祭りとして、何らかの形で大町の文化的な地層に残っていくだろうと思うんです。文化の積み重ねが厚みとなり広がりとなり、これからの大町をより魅力的にしてくれるのでしょう。その一環として非常に大事な事業をなさっているような気がしてます。
もう一つ大町で芸術祭を行う意味を考えるとしたら、やっぱりこの景色の中で作品を見ることだと思うんです。アートは恐らく好みがあるけども、誰が見ても素晴らしいと思う風景はとんでもないお宝ということですよね。大町の景色を嫌いな人はいないんじゃないかな(笑)そんな「岳野湖山」と一緒にアートを鑑賞する。面白いですよね。

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