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おおまちストーリー #05

※こちらは、北アルプス国際芸術祭2021のアーカイブ投稿となります。

大町に住む「土の人」へ
大町に訪れた「風の人」が訊く
大町ならではのプリミティブな物語

地元に住み続けその土地に詳しい人を
「土の人」と呼び、
旅行者や移住者などを
「風の人」と呼ぶことが あります。
「風の人」は「土の人」から大町を知り、
「土の人」は「風の人」から
大町の魅力を再発見します。
二つの異なる性質が混ざり合い
共鳴し合うとき「風土」のようなもの
=「おおまちストーリー」
が 生まれるのです。

聞き手:稲澤そし恵(風の人)

大町の食文化のおいしい伝え方
〜大町の景色と食材にほれ込んで〜

お話してくれた「土の人」

長嶌勇次(ながしまゆうじ)さん

郷土料理研究家。食育インストラクター(平成24年取得)。
長野県中野市生まれ、82歳。
県内のホテルを中心に各地で料理技術を学び、旧・くろよん観光扇沢ホテル、旧・三井観光鹿島槍高原ホテル、ぽかぽかランド美麻の料理長を歴任。
著書に「信濃路の料理歳時記」(オフィスエム)がある。
「信州の自然とマッチする料理」が生涯のテーマ。

北アルプス国際芸術祭で大切にしている考えの一つが、多くの人に大町の食文化に触れてもらうことです。大町は山の恵みと水の恵みの宝庫です。また標高の高さや昼夜の温度差を生かした、ここにしかない食材がたくさんあります。そんな食材にほれ込み長年滋味あふれる郷土料理を作られてきた大町在住の料理研究家、長嶌勇次さんに大町の食文化について伺いました。


ー 長嶌さんは大町に住んで約50年、どんな道を歩んでこられましたか
生まれは長野県中野市でね、家の近くにきれいな川が流れていて、その水を引いた池で鯉を飼う家が多い、そんな場所でしたね。実家は小さな食料品店をやってました。魚とか野菜とか地元の食材が身近にあったので、自然と料理の道に進んだね。志賀高原のホテルに就職した後、昭和39年(1964)に「くろよん観光扇沢ホテル」(旧・くろよんロイヤルホテル、現・ANAホリデイ・インリゾート・信濃大町くろよん、以下扇沢ホテル)に入ってね。前年の昭和38年(1963)にくろよん(黒部川第四発電所)が完成して、翌年に黒部ダムが観光地として一般開放された時代だったよ。ここで師匠になる方に出会い、本格的 に料理を学びました。中野市から電車とバスを乗り継いで大町に通ってたんだけど、三日町の坂を超えるとね、急に開ける北アルプスの景色が目に飛び込んできて。素晴らしくて、感動しちゃってね……。“こんなところに住んでみたい!”という心が湧いちゃったもんで、引っ越してきました。
その後、扇沢駅大食堂(現:扇沢レストハウス)を始まりに修行に励みました。扇沢ホテルでは料理長を何年かやってね。当時ホテルは冬季休業だったもんで、その間、研修と称して積極的に方々のホテルや宿泊施設へ料理を習得しに行ったよ。修業は厳しかったけど自分のものにしてやろうという気概で何10ヶ所と働いたのが、振り返れば良かったと思うね。自分で話聞いたり見たり、味わったりできたからね。
それから「鹿島槍高原ホテル」と「ぽかぽかランド美麻」の料理長を経て、「黒部観光ホテル」で定年を迎えました。その後、勉強しようと思って、通信教育で大学の経済学部を卒業しました。食育インストラ クターという資格も取って、若い頃からの夢だった郷土料理教室を始めたよ。開いて15年になるかな、今でも平公民館で毎月やってるよ。

ー 料理のお師匠、飯島光昭さんとの思い出を教えてください
飯島光昭さんとは扇沢ホテルで出会って、以来十数年お世話になったね。飯島さんは黒部ダムカレーの元になった「アーチカレー」を考案した人で、ダムカレーは今では大町の名物になってるよ。一つのものを熱心に作ればお客さまを呼べる、「百のメニューより一つの名物」ってことを教えてもらったね。
飯島さんは料理の心得以外に、山の恵みについても教えてくれただ。扇沢は山菜の豊富なところでね。お客さまに出すために、あっちの沢こっちの沢、黒部の沢と、渓流を見ながらカモシカを眺めながら、そこら中を一緒に飛んで歩かせてもらったよ。そのとき教わったのは「山の幸は山からの頂き物。身の丈以上を採っては駄目」ということ。採り過ぎちゃうと、背負って帰って来れなくなっちゃうだ。ワラビもウトブキでも長いフキもそう。イラでもウドでもそう。特にウドなんて大きいから、採り過ぎちゃうととてもじゃないが背負って帰れない。そういうのを勉強させてもらったね。……ホテルに帰ったら採れたてを煮たり、和えたり、お浸しにしたり、簡単なひと品にして。新鮮だからお客さまも喜ぶしね。
好きな山菜はワラビだね。灰であく抜きするのが一番楽かな。ワラビは煮てもよし、卵で巻いてもよし。 いろんな料理に展開できるからね。

ー 大町は意外に淡水魚の種類が豊富です。長嶌さんは川魚料理が得意と伺いました
いろんなホテルで料理を覚えたから和洋中と一通りできるけど、やっぱり日本料理が得意かな。鹿島槍高原ホテルにいたときは(近くにある養殖場&釣り堀の)鹿島槍ガーデンから運んできたニジマスを、1日何十匹とさばいたよ。あとは扇沢ホテルにいたときに毎日「鯉の洗い」も作ったね。扇沢の水は非常に冷たいので、氷使わなくても身が“はぜる”だ。身が引き締まって、チリチリした身のおいしい「洗い」が瞬く間にできるだ、地の利、自然の恵みだね。
その他にもワカサギ、ヒメマス、シナノユキマス、イワナ、アユ、信州サーモンなど大町にはおいしい川魚がたくさんあるよね。今も青木の養魚場でヒメマスやシナノユキマスを買ってきてお料理を作るよ。
得意料理というか、好評なのが前回の芸術祭でもメニューとして提供した「シナノユキマスの塩釜焼き」 だね。グリルやオーブンで20分~30分と時間をかけて焼くから、固くならない。丸ごと閉じ込められたうまみが絶品だよ!演出も楽しくて、小さな木槌で熱い塩釜を割って中身を食べるのは面白い。塩をたくさん使うけど捨てずにすり鉢で細かくすると、魚のうまみが出ているおいしい食卓塩になるんだよ。
私が料理で大切だと思っているのは、地場の物を使うこと。昔からいわれてるけども、「四里(約 16km)四方馬で駆けて集めた食材でもてなす」のが最高の「ご馳走(ちそう)」だって。まぁ、今じゃ車社会だから遠くまで行けるけど、要するに自分で採ってきた食材は大量に買ってくるのと違って真心がある、ってことだね。そういう気持ちはお客さまに自然と印象深く伝わると思うんだよね。

ー 庭に凍み大根が干してありましたね。大町の食材についてはどうお考えですか
凍み大根は寒中にさらし干し上げる郷土の食材でね、毎年作ってるよ。秋に収穫した大根を保存しておい て、寒さを待って1月中旬にゆでて干したよ。凍み大根作り始めてから寒さが楽しくなったね。ほんとほんと、嘘じゃねえだ(笑)何と組み合わせて煮物にしようかな、ブロッコリー、カリフラワー、ニンジン、 里芋使おうか……って考えると楽しいね。寒い所でしか作れない、それが楽しみっていうか、誇りだと思うんだよね。寒天、凍み豆腐、凍り餅、凍み大根だって、いっぱい信州には寒さを利用した食材があるよ ね。ここでしか味わえないことをお客さまに説明すると、感動してくれるんだよ、言葉のおもてなしだ ね。
食材といえばすぐ近くに畑を借りて家庭菜園をしてるだ。春のホウレンソウから始まって、玉ねぎ、ニンジン、ピーマン、ネギ……。耕運機で耕して、日々草と格闘だね。月2回の料理教室の食材の一部にしてるよ。自分で栽培して改めて気付くのは食材にはおいしい時期、旬があるってこと。西洋料理の場合は例えばオードブルから始まってデザートで終わるまでに、肉、魚、同じ食材が一年中使える。でも和食がすごいのは、食材や食器で四季を表現できるところだよね。春夏秋冬それぞれ食材が違ってそれぞれ旬がある。それを料理作る人が気付くか気付かないか、使えるか使えないか。地元の食材でも馬鹿にしちゃいけない、気付きから始まるだ。料理は奥深くて面白いね。
大町の人は自分の土地に良い食材があるの、あまり気付かんでいるだいね。よくいうじゃん、「近くて見えぬはまつ毛」って。事実見れねぇもんね。鏡を通してやっと見えるって。近くに平凡にあるもんで、気付かずにいるだよ。食育インストラクターの講座で服部幸應先生に「地元の食文化を広げることが大事」 って教わったよ。私も若いとき東京に修行に行ってさ、東京の物こっちで出そうとした。でも、できるだ け旬の物を使う心でいると、気付くんだよね。例えば、ふきったま(フキノトウ)って、今が最高だって時期があるじゃん。そういうのを知っててそれを使えば良い料理にできるんだよ。だから都会のお料理のまねしなくてもよくって、田舎の食材、そのまんまのスタイルを出せばいいだと思うね。
え?大町の好きな食べ物?自分や妻が料理するからあんまり外食しないけど、「俵屋の餃子」が好きだね。この前、孫に買ってきてやったら、とっても喜んでたよ。

ー 前回(2017)の芸術祭ではイベントの料理を監修されていましたが、苦労はありましたか
大町の食を発信するために、地元のグループ(YAMANBAガールズ)と一緒に「おこひるの記憶」というイベントをやったよ。民話を語り郷土食でおもてなしする内容で、苦労というより、とっても楽しかったね。
芸術祭は何のためにやるかをまず知らなくちゃと思って、フラムさんの本を読ましてもらってね。それと新潟の芸術祭(大地の芸術祭)に何回か行ったよ。現地で鑑賞して、じゃあ、おらの所はこういう風にやろうって発想が生まれたよ。やっぱり現地に行って芸術祭の作品を見て、風土を感じることが大切だね。 フラムさんの芸術を通して町おこしする姿勢を、みんなもっと知った方がいいと思ったよ。YAMANBAガ ールズのメンバーに調理方法と一緒にその心を伝えたりして、準備期間は結構忙しかったね。ただ、料理を作るだけじゃねえだ(笑)そんな心意気を感じて、民話の内容やテーブルコーディネートまで、いろんな価値を付加してね。
やるからには、成功させたいから。メンバーは初めての“おもてなし”だったけど、心は伝わったと思うだ。 例えば「今日のフキは鹿島槍から木崎に下るその途中で採りました」って、くどくど言わずにチラッと伝えりゃ、それだけでも気持ちは伝わる。四里四方じゃねぇが食材を料理人が探して採って提供する、最高の贅沢でないかな。今なかなかそういうの、ないから。外国からのお客さまも来てたけど、喜んでくれたね。言葉は通じなくても笑顔だったら、おいしいんだろうなってこっちも分かるしね。
今回の芸術祭は料理のアドバイスくらいなら、またできるかな。まぁ、体調によるけど精一杯お手伝いしたいです。芸術祭のイベントが私の今までの経験やレシピを次の世代に伝えるきっかけになれば、それはうれしいしね。形にして残すことが大事じゃないかなと思うよ。

ー 前回(2017)の芸術祭期間中は忙しかったと思いますが、アート作品は鑑賞されましたか
作品は妻と一緒に全部見たよ。八坂の竹で作った作品(バンブーウェーブ)は良かったな。木崎湖の「雲 結い」も桟橋を歩いてね。足を運ぶのがいいだよね。普段歩かないようなところも作品があるおかげで行けるし、やっぱり参加してみないと芸術作品の素晴らしさは、分からないよね。自分で味わって体験してみて、大町には素晴らしい場所がたくさんあると気付かせてもらっただ。
それでね、この空間に自分ならどんな作品を置くかなってね、考えるのが楽しくて。芸術家になったような気分で歩けるじゃない。大町の人や訪れる人たちみんなに、そういう芸術家の心を持って楽しんでもらえたらいいね。そうそう、なぜ全部見たかっていうと、自分が感動したならお客さまに話せるでしょ。「おこひるの記憶」に携わった人はできるだけ作品を見ようって勧めたんだよ。やっぱり体験したものを伝えるのも、‟おもてなし”かなと。一言話すだけで全然違うもんね。

参考サイト
黒部ダムカレー(扇沢レストハウス)
フィッシングランド 鹿島槍ガーデン
青木湖漁業協同組合
中国料理 俵屋飯店

※年齢、所属・役職、肩書きなどはお話をお伺いした当時のものです

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