私は山本さんに質問しました。
「山本さんが世話している11の田んぼそれぞれの名前を付けているのを見て、お米は山本さんの子供たちっていう感じがします。それで気になったのだけど、もしお米が話せるとしたら、何かいいたいことはありますか?」
山本さんは答えました。
「今年もありがとうございました、来年もよろしくお願いします、って言いたいかな。 ところでね、お米が僕の子供たちみたいだってエリーは言うけど、僕はそんな風には思ってなくて、お米は僕としては親とか、先輩とか、先生っていう感じです。だから、本当に感謝してます。」
そして独り言のように
「死ぬまで稲作に関わるためにも、健康でいたいなぁ」
私は、山本さんにもうひとつ質問をしました。
「収穫の時はやっぱりうれしいですか?」
山本さんは答えました。
「対照的な2つの感情を同時に感じます・・・」
稲穂を丁寧に触る山本さんの手を見ていると、彼の柔らかい手は、とても肉体労働者のものとは思えない。興味深いのは、山本さんが稲を触るときに手袋をしないこと。朝には柔らかできれいな彼の手は、太陽が沈む夕方には土色になり、稲穂のガラス繊維でところどころに擦り傷ができている。もし稲穂が刈り取られるときに何か痛みを感じるなら、山本さんの優しくて柔らかくて、感謝のこもった手で刈り取られていることを、わかってくれたらいいな、と思った。