私にとって初めての日本の旅では、日々たくさんの親切な人たちに出会っている。彼らのおかげでなんとか「どこに行くにも迷う」ということにはならずに済んでいる。日本語が一言も話せない私と地元の人たちの間には、私が楽しみにしていた「言葉の連なり」がおかしな方向に伸びていった結果、愉快な間違いやハプニングがもうたくさん生まれている。
地図(大町山岳博物館にて)
あさひAIRのテーマ「時・水・稲作」というのを読んだとき、ふと「米」(イタリア語でRisoという)という単語について考えた。イタリアではRisoという単語には「米」と「笑う」というふたつの意味があって、結婚式でコンフェッティとして新郎新婦に投げたりする。
こんな風に2つの意味がある単語は他にもKohi(意味は「色鯉」と「愛」)などというものもある。
誰だか忘れてしまったけれど、ロシアのアーティスト兼哲学者で、発音が似ている単語は意味上でもつながっていると言った人がいた。しかも絵や図など、視覚的な情報でも同じような連鎖が起こっている…らしいけどまぁそれはともかく。
ノーザンバランドの寓話挿絵(イギリス 1250〜1260年頃)
ギリシャの哲学者アリストテレスは著書『詩学』で、同音異義語のもつコメディックな美について語っているし、キリスト教のものすごく真面目な教義の中でも、聖人の肖像には元のラテン語の言葉からイタリア語に翻訳した時の間違いで描かれたおかしな絵が散りばめられている。そこで生み出される笑いのベースには、その言語固有の文化や歴史がある。
今回の制作ではそんなアイディアから出発して「笑い」というコンセプトでワークショップを開催しようと思った。
お多福のお面(塩の道ちょうじやにて)
またはおたふくの能面
ワークショップでは大町の人たちと一緒に糸の絵を描くのだ。
私が制作するオブジェは、日本の家の「もてなし」のコンセプトを表すシンボルになると思う。
「囲炉裏」というものを最初は本で、日本では塩の道ちょうじやで本物を見た。私の作品では「家」と「日常生活」というのをテーマにしているんだけど、囲炉裏は時間や食事、水といったものを表すものになるんじゃないだろうか。
囲炉裏(塩の道ちょうじやにて)
「マーシャン ドゥ・セル(=セルの商人)」というのはかのマルセル・デュシャンの別名のひとつなんだけど、この「塩の道ちょうじや」のような大町の商人(=マーシャン)の家も地域の文化経済や歴史の重要な拠点ですよね!
この魚の意味に関してはいろいろな教示を得た。博物館にいた女性は魚は「家と火の神」だと言っていた。大町市民俗資料館ではたくさんの種類の色鯉(または愛かも?)もみた…
続く