信濃大町あさひAIR

| アナンダ・サーン

アナンダ・サーン

アナンダ・サーン Ananda Serné  オランダ 1988

オランダ生まれ。ヨーロッパの運河に浮かぶ船の上で育ち、現在はノルウェーとオランダを行き来しながら、テキスト、映像、そして写真を媒体に作品制作をしている。アントワープのセントルーカス学校を卒業し、ベインハルト文化奨学生としてレイキャビックのアイスランドアカデミーで芸術学の修士号を取得。主な展示にコーパヴォグル美術館、ノルウェー若手現代美術展など。また、オランダをベースにした複数のオンラインマガジンで執筆活動を行う。


覚書 高瀬川の木霊

私は「サウンディング」という行為を知った。
井戸の深さを確かめるように - 君は井戸に小石を投げ入れ、そしてじっと耳を澄ますのだ。

『プレーンウォーター』アン・カーソン


夕方5時、山への道を進むなか陽が落ちていく
森のなかで聞こえる音、怖いようなわくわくするような。
薄暗い森の聞きなれない音、ゴーストストーリーのはじまりみたい。
科学で「サウンディング」とは、湖や海底で音波を使って行われる水深測量のことをいう
人間にとって、いまだ大部分が未知の領域である海底の地図は、サウンディングのデータで作られる
メリアム=ウェブスター辞書によると、「サウンディング」は他にも「探査」「テスト」「世論調査」などの意味があるらしい
まるでコウモリが超音波を発して、その反響音で周囲の環境を知るかのように。
高瀬川沿いにある3つの堰を訪れたとき、ダムの静寂さ、山の緑、湖のターコイズ色に言葉を失った。
日本で「コダマ」とか「ヤマビコ」と呼ばれる現象のこと、この場所で叫ばれる名前の植物たちのことを想った。
Echo : landscape – language – sound  エコー :風景 -言語 ‐ 音
大町に滞在中、高瀬川周辺、特にダムに近い場所の草木を調べて回った
ダムの建設中、いくつかの木は死んでしまい、また建設後に再緑化として新たに植えられた木もあった。
ダム建設で破壊された土地にどこからかやってきて、根を下ろした最初の植物の名前も知ることになった
ハリギリ、ニセアカシア、オオカメノキ。
「オオカメノキ」という言葉の反響は高瀬川の谷間でどんな響きに聞こえるのだろう
どうやったら「エコー」や「コダマ」といった自然現象を視覚化できるだろうか
そんなことを考え始めたのが、「高瀬川の木霊」プロジェクトに繋がっている。

滞在期間 AIR2016 2016年9月15日~11月23日
あさひAIR2016滞在制作展「稲穂の実る音」
「高瀬川の木霊 / Echoists of theTakase River」
展示場所:大町リノプロ2F

 

インタビューLINK

レビュー

[アナンダ・サーンが見ている世界を、僕らは見ていないのではないかと思う]
彼女は「2つの場所に同時に存在する」可能性を創作テーマにしている。僕らの常識では、2つの場所に同時に存在する事は矛盾でしかない。しかし、素粒子物理学で観測前の電子が複数の場所に存在している事が証明されたように、ある視点、もしくは視点が消失するある地点において、僕らを構成する要素が2つの異なる場所に存在する可能性は、科学的にも否定できない。そこで問題になるのは、僕らはどのように世界を認識し、何を「存在」として捉えているのかという事だ。 彼女は作品「高瀬川の木霊」で、木霊(エコー)という現象の視覚化を追求した。自然環境と巨大土木構造物が共存するダム湖に反響した木霊を、人はどのように認識しているのか。彼女はそれを、コウモリがエコーロケーション(反響定位:自ら発した音が反響する事で周囲の環境を認識すること)で感知する世界や、時を超えてその場所に宿る魂のこと、植物が共感覚を持っていたら、と様々な観点から想像することで見えない世界に踏み込んでいく。 彼女は明晰な目的意識と想像力で、存在が知覚できない現象に向き合っているのだ。認識とは曖昧なもので、知覚できなくても無意識に訴えてくる感覚がある。そういう第六感的な認識について、大乗仏教の「唯識」では、人間は8種類の識、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)と意識の他に、2層の無意識(末那識、阿頼耶識)で世界を認識しているのだと説く。映像と冊子で構成された作品「高瀬川の木霊」の細部に、彼女が無意識と向き合った痕跡を感じれば、僕らは世界を再認識できるかもしれない。
あさひAIRコーディネーター 佐藤壮生

作家HP http://anandaserne.nl/