信濃大町あさひAIR

| ある人は一つの突起を指差して、それが槍ヶ岳だと言う。[水谷 一]

ある人は一つの突起を指差して、それが槍ヶ岳だと言う。[水谷 一]

2016年11月23日

ブログ|水谷一 MIZUTANI HAJIME

鷹狩山の頂に立つ古民家での作品展開。連なる二つの10畳の部屋に描画体と私が呼ぶ作品を設置した。もうちょっとちゃんと言えば、描画体と私が呼ぶ造作物を合計20畳(横幅4メートル56センチ、奥行き7メートル15センチ)の部屋の床に配置することで、その景色と景色を構成する全て、つまり状況を作品とした。描画体とは大小の紙を貼り合わせて作った起伏の表面に木炭でドローイングを施した物で、立体を立体的に見せる光と陰、そして木炭により描かれた部分と描かれていない部分、それらが混じった白黒のコントラストの連続である。古民家の床とは日本家屋の座敷から畳が除かれた薄い窪みであり、建物自体が描画体の額縁として機能するようになっている。イメージできるだろうか。

額縁に区切られたコントラストの連続体を、まるで砂浜から海を見やるように、来訪者は眺める。その状況を照らすのは障子によって和らげられつつも拡散された自然光で、鑑賞者の背後の窓からと、描画体右側の窓からの光であり、それらの光の変化が連続体の表情を作る。光の変化を視触感へと変換する。人は立って見て、座って見て、寝転んで見て、たまに作品を前に居眠りする。

来訪者は、この展覧会を目当てに山を登って来る者だけでなく、多く山頂の景色を目当てに登頂し、そこで初めて展覧会の存在を知る者である。建物を入って土間で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて室内へ。そして12畳の一部屋を通り抜けた先、唐突に、出会い頭にその景色は広がる。オっ。

この記事を書いている今日は11月19日。この展示の最終日の前日となる土曜日。明日ー日曜日ー11月20日が最終日である。展覧会終了後、延長可能な限りにおいて、この作品をこの場所に安置しておくことが決まっている。鷹狩山に雪が降り、登って来れなくなる場合を除いて、この作品の前で過ごしたいと思う者にそのチャンスはある。

明日までの展覧会とは別の設えで、この作品は第二の展示を11月22日あたり(未確定)から開始するのである。その新たな展示の最終日は決まっていないが、最終日を存在させる事は決まっている。

「明日までの展覧会とは別の設え」と言っても、描画体を新たに付け加えて増やしたり、既存の状態に手を入れて起伏の形状を変更したりするわけでは無い。しかしその展示の状況を見れば確かにそれは別の設えだと理解してもらえると思う。

私の想定通りに事が運ぶとすれば11月21日に、明日20日までの展覧会では開け放たれている一つの面を閉じ、やはり20日までは閉じている一つの面を解放する。それだけと言えばそれだけ。しかし、もう一度山を登って欲しい。そう私が希望するに足る何かにはなるはずだ。

作品は続く。

今日はペガサスでも出てきそうな霧やら靄やらが鷹狩山山頂には立ち込めて、幻想的にもほどがある光景が一日中保持された。古い日本家屋の背景はスリーピーホロウで、展望台に上がる階段にも薄白い気流が濛々と居座った。明度はそこそこ低いが彩度の高い雲で覆われたてっぺんの景色は景色であることを超えて、こちらの意識にまで触れようと近づいて来る。

明日の20日、最終日は晴れるらしい。