信濃大町あさひAIR

| 塩・サウナ・輪切り[ 水谷一 ]

塩・サウナ・輪切り[ 水谷一 ]

2016年10月14日

ブログ|水谷一 MIZUTANI HAJIME

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長野県のほぼ中央に位置する松本駅と、新潟県南西部、日本海に面する糸魚川(いといがわ)駅とを結ぶ鉄道路線・大糸線(おおいとせん・全長105.4km)。

松本駅から北上して19駅目、糸魚川駅から南下して22駅目の信濃大町(しなのおおまち)駅(長野県大町市)の、一つしかない改札口とは線路を挟んで反対側、『塩の道』のルート脇を拠点とする『あさひアーティスト・イン・レジデンス』にやって来て、あっ  という間に二十日が過ぎた。

※上の写真はとある日の鷹狩山山頂(近所の山)にて撮影した空と木々。こちらに来てから雨ばかり。降らずとも暗く湿気た日がほとんどで、濡れた合羽も乾いてる暇がない。だけどそれだけじゃなかった。ということを思い出させる一枚。

『塩の道』とは古来、塩をはじめとした様々な物資の移送に利用されて来た道を指す言葉である。沿岸の原産物資、あるいは北前船などによってもたらされた品々を内陸へ、そして山の幸や鉱物、材木などが内陸より沿岸へと運ばれたとのこと。

wikipediaによれば、製塩が化学製法に代わる以前は塩を海辺の塩田に頼っていたことから、海と山とを行き来する『塩の道』は日本各地に数多あり、また、その多くは現在も物流の主要ルートとして残っているらしい。

一方で、ここ大町を中継地の一つとする『塩の道』、つまり糸魚川と松本とを結ぶ『千国街道(ちくにかいどう)』は、近代化の流れの中でその役割を終えている。

それには自然や自然災害と〈向き合うやり方〉の、今昔による〈違い〉がどうやら関係しているらしいが、ともあれ、そのおかげで、というかそうしたことが起因して、千国街道には多く『古道(こどう)』が今もそのままの形で残っているとのことである。

これについては『古道 塩の道―松本‐糸魚川三十里トレイルマップ 謙信が信玄へ塩を送った道』(文・写真 府川公広、ほおずき書籍)を参考にさせていただいたが、この本なかなか素晴らしい。

全125ページ、オールカラー。三十里はちなみに120km。ひそかに通っている図書館で発見し、ガンガン書き込みながらザクザク使いたいと思っていた矢先、蔦屋書店の平積みに遭遇。購入した。

道中出会えるという文化、生活、信仰などのあれこれの〈あらわれ〉を、必要十分な写真と簡潔な言葉を通じて眺め、触れつつ、赤いラインで千国街道の全ルートを明示してある掲載マップにより、松本から糸魚川までを〈旅するように辿る〉ことができる。

当然私見だが、主として使用されている2万5千分の1地形図のそのスケール感も、縦幅20センチ、横幅12センチという書籍サイズ も、手にして歩いたり走ったりするには丁度いい。

さらに紹介される各地の地図上表記のデザインもしっかりとわかり易く、現在、私が居る大町市のおおよそ10ページを中心にパラパラパラとめくっているだけでもけっこう楽しい。最終ページに案内があるウェブサイトも充実していそうだ。
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「古道 塩の道」ホームページ
http://www.fumoto.info
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この二十日間、私の興味の矛先は、支給されている三段変速ギア付きママチャリの前カゴの突端で風見鶏のごとくあちらこちらと忙しなく、私の両足は膝を起点にニシニシと痛み、傷むと銭湯に吸い寄せられる。湯船、冷水、サウナ、冷水、サウナ、冷水、湯船、湯船、冷水、湯船。

大町に来てからテレビのない生活で、銭湯に行くとヤバい。釘付け。ふ  と気づくとテレビの虜。我に返る瞬間を逃してはならない。

そういやいつだったか、テレビが人から退屈な時間を回収し、結果、人間全体の寿命を引き延ばしているということを聞いた(何かのテレビ番組からだけど)。ということはテレビのない生活は相対的に人の寿命を縮めるのか? その実感もテレビの実体も我が家にはないが、ドアには昨日、NHKの受信料請求の知らせが、差し挟まれていた。

『あさひアーティスト・イン・レジデンス』では、個々のアーティストに割り当てられた平屋とは別に、交流棟、制作棟と呼ばれるやはり平屋の施設があり、そこで料理や洗濯、ミーティングなどが行なわれる。すでにコーヒーは何杯飲まれたかわからない。

今後は少し変化するだろうが、今のところ、書き仕事をするにも、本を読むにも、小さな絵を描くにも、どこか他所でする方が捗っている。そのため、私は我が家を、寝て、荷置きにして、洗濯物を干して、というくらいしか活用できていない。

そういや読書という読書は全然さっぱりできていない。いや、そこそこ毎日文字に目を這わせていることは確かなのだけれど、こっちに来る際、持参した二十冊にはほぼほぼこれまで振り向けぬままに、新たに四冊購入してしまった。帰りの荷物が着々と増えている。

さて現在『塩の道』関連本一冊と、ライトな小説二冊をお借りしている、我が家からママチャリで10分程度の図書館のすぐ右隣には『大町市文化財センター』なる施設が立っている。

文字通り大町市の種々の文化財を保護し、展示やイベント等を行なう施設なわけだが、『大町市文化財センター』の印象を語る上でまず、忘れてはいけないのが、ギャラリーの正面、どんつきに、鎮座するドーナツ状の巨大展示物である。

立派な展示ケースは特注だろう。輪切りされた樹齢約800年の大杉。大町市の南東部に在る、天照皇大神を奉祀する『仁科神明宮(にしなしんめいぐう)』の『初代・御神木』である。

私は仁科神明宮にて先日、その威風を放つ重量級の根っこに出会ったばかり。元天然記念物(文部省指定)。

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また、展示物の一つには、縄文時代後期前半の釣手土器(把手付きの甕)がある。

発掘されたのは一津遺跡(いっついせき・大町市大字平海ノ口地区・木崎湖の北東側・1987〜1988年の調査)。大糸線・海ノ口駅の裏手あたり。

汁物を入れれば持ち上げた途端にもげてしまいそうな把手。やはり祭祀目的と考えるしかないのだろうけど、いわゆる釣手と違って“灯り取り”が目的という感じもしない。

ちなみに以下URLより、なんと『一津遺跡の発掘調査報告書』を、ばっちりしっかりダウンロードできる(上述の釣手土器の 実測図は127頁に)。
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長野県大町市埋蔵文化財包蔵地緊急発掘調査報告書
一津 ー内陸における縄文時代玉作り遺跡ー
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/8013
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そう言えば木崎湖の南西部の『森城址/仁科神社』の前にある大きな案内板に書かれた周辺紹介に、なんだか気にさせる釣手土器のインフォメーションがあった。

『下畑遺跡』という遺跡にて「縄文前期から弥生時代にいたる遺物を出土している。釣手土器の出土は珍品で郡内唯一の遺物」(※)とのこと。これも是非拝見したい。
※上記「」内は『森城址/仁科神社』に設置さ れている案内板からの引用。